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「訪問リハビリ、10年となりました、その1」
     「訪問リハビリ、10年となりました、その1」
今私が特に体調をくずすこともなくこうして普通に生活出来ているのは、我が家にわざわざ来ていただきやってもらっている「訪問リハビリ」のおかげなんです。その訪問リハビリを始めてから今年で丸10年となりました。10年かあ、アッという間でしたよねえ。よって今回はその訪問リハをやっていただいている八代市医師会病院のスタッフの皆さんに感謝の思いを込めてここであらためて紹介しておきたいと思います。

まず看護師のTさんです。Tさんは10年前訪問リハを始めた時からずっと担当してくれている人です。年齢は内緒ということで…。私よりは確実にかなり若いです(ニコ)。Tさんのことを一言で言うと「明るくてとてもおしゃべり」な人です。そのおしゃべりはそんじょそこらのおしゃべりとは大違いでして「筋金入り!」なんです。いやいや「正真正銘の」いやいや「右に出る者はいない」いやいや「八代市で二番目の(なんじゃそれは!)」という人です(ごめんなさい、ペコリ)。でも一般的におしゃべり好きな人は自分から一方的にしゃべるだけでこちらの話はほとんど聞いていないようです。でもTさんはその後やっと(ニコ)話す機会を得た私の話をしっかり聞いてくれまして、それなりの答えを必ず出してくれるんです。その辺りがただのおしゃべり好きな人とはかなり違うところです。それと話の守備範囲がとても広いんですよねえ。こちらからいろんな話題を振ってもそれは見事に返してくれます。スルーするなんてまったくありません。もし不得意な話題であっても「よくは知らないんですが…」と前置きしてからそれなりに一生懸命応えてくれます。得意な話題は大河ドラマです。歴史物が大好きだそうで、私の知らない人物関係について質問するときっちり答えてくれまして私としてはかなり勉強になります。
肝心のリハもそんなおしゃべりをしながらやるわけですが、当初はTさんのおしゃべりを聞きながら私はただ黙々とリハをやるといった格好でした。しばらくして私にちょっとした余裕が出て来ると私もまけじとおしゃべりして応戦しました。最近ではほとんどそんな格好です。このおしゃべり・いや会話は私にとってはSTの訓練の一つとして受けとめています。おかげさまで当初話す時によく咳き込んでいた私でしたが最近ではかなり改善されて来たようです。Tさんとのおしゃべりは決して無駄ではなかったようですね(ニコ)。私がTさんに付けた愛称は「一家に一人 Tさん!」、それと「医師会のレジェンド Tさん!」です。大変失礼しました(ペコリ)。

その2へ続く…。



未分類 | 17:27:17 | Trackback(0) | Comments(0)
「姉ちゃん夫婦はアメリカ行きです」
     「姉ちゃん夫婦はアメリカ行きです」
姉ちゃん夫婦がアメリカに出発しました。3年ほど前に勤め先の転勤でアメリカのインディアナ州に行っている長男家族に会うためです。3人の孫たちに会うことと、せっかくアメリカに行っているんだから今のうちにアメリカ内を観光したいというのが目的です。めったに行けない所ですからこのチャンスにぜひ!ということです。実は兄さん 飛行機が大の苦手!でしてね。アメリカ行きもかなり考えたようでして、ここはもう清水の舞台から…、といった心境でしょうね(ニコニコ)。約10日間滞在して帰りは7月9日の予定です。私たち年ては何ともうらやましいことでして「いいよねえ!」を連発しております(ニコ)。
とにかく無事に元気で帰国することを願っています。



未分類 | 16:24:50 | Trackback(0) | Comments(0)
「じいちゃん、おかげさまでまた助かりました」
     「じいちゃん、おかげさまでまた助かりました」
我が家のじいちゃんが入院しました。病名は狭心症です。実は3回目なんです。17年ほど前が最初でして、それから数年後に2回目をやりました。その時に主治医から「食事制限がまったくできていない!、このままだったら死ぬよ!!」ときつく注意されていたそうです。この2度目にカテーテルでステントを2カ所入れて、最初の2カ所と併せてこの時4カ所となっていました。この食事制限なんていうやつはじいちゃんは大の苦手です。家族の注意なんて当然聞かず…、その後定期診察にはまったく行かず…。食事も以前と変わらずの状態がずっと続いていました。そして先日3回目の入院となりまして…。ステントは更に3カ所入れたそうです。ステントは合計7カ所となりました(フーッ!)。このカテーテルでのステントという技術があるから助かったようなものです。これがなかったらとっくの昔にあの世に旅立っていたことでしょう。ステントを7カ所も入れている人はそんなにはいないでしょうからね。まずこのステントさんに感謝するべきです。まさにステント様様です。本当に有難いことです。
じいちゃんは2週間ほど入院して先日退院して来ました。さすがに今回は反省したのか、今のところ・お・と・な・し・くしているようです。まあこれは以前2回あった退院直後も同様だったので簡単には安心は出来ませんが…。この状態が長く続くことを私たちとしてはただ祈るばかりです(アーメン)。


未分類 | 17:05:51 | Trackback(0) | Comments(0)
「あれから…、四半世紀となりました」
     「あれから…、四半世紀となりました」
4月30日、今年もまた私の「命の記念日」がやって来ました。今年はナント25年!という一つの節目の年となります。「四半世紀!」ですよねえ…、いやいやすごいことです。これを今あらためて考えてみるとアッという間のようですが、じっくり思い返してみると、あんなことがあった…こんなこともあった…と思い返すとやはりそれはそれは「長ーい・長ーい!」年月でしたよねえ。昨年は熊本地震が発生した直後で余震がバリバリの状況の中だったため、この記念日のこともほとんど思い出すこともありませんでした。この日以降のことを思い返すとつい暗ーい気持ちになるので出来るだけ忘れようとしていますが…。嫌なことを思うと脳には良くないと言いますよね。つらい事を思い出してまた落ち込んでしまう悲観脳よりも楽しい事や好きな事を考える楽観脳の方がずっと健康的でいいですよねえ。突然以前の嫌な気持ちを思い出してしまった時には「いやダメダメ!、忘れろ忘れろ、たまにはカレーを食べたいよねえ!」などと、無理やり気持ちを切り換えています。よって記念日は忘れないようにしますが、それからのつらい事柄についてはもう思い出さないようにします。その方がきっといいよね(ニコ)。


未分類 | 14:09:16 | Trackback(0) | Comments(0)
「熊本地震から1年です」
     「熊本地震から一年です」
震度7を記録した熊本地震から14日で丸1年となります。そして16日は続いてナントまた震度7!という大地震が発生してしまいました。あれから早いもので1年です。震度7が14・16日と続いたので「ええっ、また?、どうして?」というのが私たちの正直な気持ちでした。数日後、14日は前震そして16日は本震ということがわかりましたが…。それから毎日続く余震で私たちの気持ちは不安だらけでもうボロボロでした。私の住む県南の八代市の震度は6弱だったんですが、その怖さは今まで経験したことのない揺れでしてまさに「恐怖」!でした。その時私は以前にも似たような思いがあったことを思い出していました。それは25年ほど前に私が脳内出血で病院に運ばれベッドの上で感じた思いと、何となく近いものがあったように思います。その時私は「大変なことになってしまった。これからどうしたらいいんだよ!」と不安で不安でたまらなかったという記憶があります。それはちょっと身震いするほどの恐怖心だったように思います。そして25年後、また似たような思いをするなんて…、思ってもいませんでした。やはりあれほど余震が続くと健康な人でも精神的にやられてしまい、体調も崩してしまいますよね。そうそう、余震がまだバリバリ続いていた頃我が家のばあちゃんがこんなことを言っていました。「地震はもう行ってしもうた、後は大丈夫!」なーんて。おいおい台風じゃないんだから!と私たちはみんな大笑いしたものです、。ばあちゃんのこんなトンチンカンな言葉もこんな時には必要だよねと思ったしだいでした。
その後余震が毎日続く中、防災用品をいろいろと準備しまして…。あれから早いもので1年が経ちました。1年が経った今も震度1程度の揺れは時々発生しています。震度7を記録した益城町や熊本市辺りの被災された人たちは仮設住宅での生活を余儀なくされています。復旧・復興はまだまだですがみんな負けずに精一杯頑張っています。今後もみなさんのご支援を引き続きよろしくお願いいたします。



未分類 | 14:53:50 | Trackback(0) | Comments(0)
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