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「20年となりました、これからもよろしくお願いします」



     「20年となりました、これからもよろしくお願いします」
私はこの病をやってから4月30日で丸20年となりました。一度死んで生まれ変って「成人の日」をまた迎えたといった感じです。そうなんですよね、あの時産まれた赤ちゃんは「二十歳・成人」となるはずです。そうそう、当時私の同僚のM君に丁度赤ちゃんが産まれたという話を聞きまして、近い内にお祝いに行かないとねと考えていたところでした。そんな矢先、この病をやってしまったので結局行けなかったんでした。その子が二十歳になりますよね。赤ちゃんが二十歳の成人ですよ、そう考えるとやはり20年はすごいことです(しみじみ)。
20年前の1992年4月30日のことは今でもしっかりと憶えています。その夜に下腹部の激痛に耐えかねた私は家内に「救急車を呼んで!」と頼みました。しばらくしてやって来た救急車の隊員の「タンカは?」という問いに「要りません」と独りで歩いて乗り込みました。私は車のベッドに右ひざを立て右手は腹の上に置いていました。右ひざを立てた方が何となく痛みがやわらぐように思ったからです。そして車は大きい右カーブに入った瞬間(場所は今でもはっきりと憶えています)、立てていた右ひざと右手はまさに「ストン」と下に落ちてしまいました。私はすぐに右ひざと右手を元の位置に戻そうとしたんですが、どうしても上がらないんです。力を入れているつもりなんですが動かないんです。付き添って来ていた家内はそれを見て「足を上げんね」と言ったようでした。私はその声を遠くで聞いているように感じながら「アッ、大変なことになった!」と直感的に何が起きたのか、素人ながら分かったような気がしていました。それと同時に何とも言えない恐怖心に身体が震えるようでした。
その時から私の闘いが始まりました。つらいリハビリも早速開始されました。それから約3ヶ月後やっとリハに慣れようとしていた頃に、光を失ったままの眼を何とか復活させようと久留米医大病院に転院。しかし残念ながら視力は回復せず、2ヶ月後に熊本労災病院に再転院しました。久留米から戻る時は泣きましたね。「戻る時には見えるようになるぞ!」と行く時にはそれを信じていただけにそのショックは大きかったです(シク)。再び労災病院に入院してからはリハに没頭しました。「精神面を落ち着かせる効果があるんでは?」と私のことをいつも心配していたある看護師長さんの勧めで始めた陶芸で、思っていた以上の集中力というものを身につけました。更にそれを活かしてワープロというものに挑戦しようとした私に、OTのY永先生はまったく躊躇することなく無条件に熱心な指導で対応してくれまして何とかマスターすることが出来ました。それと同時にPTのS原先生(旧姓M野先生)には基礎体力をつけるためにビシバシとこれまた熱い熱い指導を受けましてね。そして最初の入院から1年と6ヶ月後の93年10月、かなり長かった入院生活にやっとピリオドを打ちました。1年半も入院させてもらったことにまず感謝しなければいけません。当時の主治医だったO野先生には感謝・感謝・大感謝!です。
退院後は障害者としての新しい生活が始まりました。94年にはパソコンを購入して早速手紙を書いたり文章を作ったりしました。それは入院中に学んだワープロが大いに役に立ったわけです。そして96年にはそれまで書き溜めた文章(この病気のことや入院生活・リハビリについてなど感謝の思い)をまとめまして本を自費出版してしまいました(エヘッ)。それは私のこの病気で迷惑をかけてしまった方々に、そして大変お世話になった病院関係者の方々にお礼・感謝の思いを込めて出版したしだいです。
健康面では99年に盲腸をやり、そして2007年には腸閉塞で痛々しく入院するなど、またみんなに迷惑をかけてしまいました。「まったくどこまで心配させたら気が済むんだよっ!」、と突っ込まれてしまいそうですよねえ(しょぼ)。
ざっとですが、20年前の夜からのことを書いてみました。本当に「ざっ!」とですよね。いろんなことがあった20年でした。こう書いてしまうとあっという間の20年ですが…、やはり長いですよねえ。何しろ「産まれたての赤ん坊が立派な成人・大人」ですからね。
この20年のことを思い出していたら何となく「しんみり」してしまいました。しかしいつまでも感傷的になっているなんて私は大嫌いなので、そんな気持ちはポイッ!と投げ捨てて即終わりにしたいと思います。それよりも今後のことを考える方がいいですよねえ。今年の年頭にも書きましたが、これから先いつまで元気でいられるか分かりません。よって後悔しないように「思ったこと・やりたいことは出来るかぎり・すぐ に実行する」です。但し金銭面が伴うことは我が家の財務大臣から「承諾」をいただかないといけないのでちとつらいところです。先日も新しいパソコン(Windows・7パソコン)の購入(インターネットを使う私としては今使っているシステムにいろいろと問題がありまして…)を申請したんですが、「他に予定がある」とあっさり「却下」されてしまいましたとさ(しょぼ)。そそそうですよねえ、パソコンなんて後回しでいいですよねえ(弱気なヤツです、ダラシナッ!)。とにかくお金のあまりかからないことだったら「すぐ実行」と考えています。特に外出は何とか元気でいる今の内に出かけたいですよねえ。まあこれも私・独りではどうしようもないので家族のサポートがあってのことですが…。そんなわけで、家内と子供達には大変な苦労と迷惑をかけてしまいましたが、これからも「どうか!」よろしくおつき合い下さいませ。
この病気をやってから多くの方に出会いそしてお世話になりました。当然のことながら病院関係者がほとんどですが、この病気をやっていなかったら一生出会うことなんてなかった人たちです。特に恩人であるリハビリを担当していただいたY永・S原両先生とはこんなことがなかったらまったく出会うなんてないわけでして、そういった意味ではとても「貴重」な出会いだったんですよねえ。出会いそしてその指導がなかったら今の私はないのです。本当に感謝しています。それと今現在訪問リハをやっていただいているY先生・看護師のTさん・そしてS田さんにも感謝します。もうしばらくはお世話になるつもりですので、こんな私に「懲りず」引き続きよろしくお願いしますね(ペコペコペコリ)。
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未分類 | 16:11:58 | Trackback(0) | Comments(1)
コメント
 あなたの激動の二十年間がさらりと記してありますが、よくぞここまでと言う想いも滲み出ている様に思いました。
 この間、新しい目標を定め一年々積み重ねて今ここに二十歳を迎えたのですね。
 これからは前途洋々です、円熟味が増しいい仕事が出きる様に思いますが、今未来に何を見据えていますか?
 私も、何かに挑戦する気持ちは忘れてはいません、ときどき忘れますが、また頑張ります。
                                         
2012-05-04 金 12:46:24 | URL | giyuusan [編集]
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