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「家族と音楽に感謝です、ボツ原稿ですみません」
     「家族と音楽に感謝です、ボツ原稿ですみません」
突然ですが今回はある作文コンクールに応募して見事「ボツ」となった原稿をご披露したいと思います(ドッヒヤーッ)。内容としては私がこの病気をやった経緯からリハビリが始まり、そして立ち直って行く過程でのお話です。私のそんな過去をすでに熟知?している方、そして以前からこのブログを読んでいただいている方には「そんなこととっくに知ってるよ!」と言われそうな内容です。私としてもこれまで何度も書いてきた話でして、二番煎じ・三番煎じとかなり煮詰まって来ているものです。正直なところ書いていて今一つ「気乗り」がしなかったんです。今回のテーマは障害を持ってから初めて分かったこと・知ったことでした。もう書き尽くした感のあるいくつかのエピソードに加えて立ち直るきっかけの一つとなった音楽というものを絡ませて書いてみました。書きたいことはいっぱいあったんですが、何しろ字数に制限がありますので思った以上に手こずってしまいましてね。いやいやマジで疲れました。今から考えるとまとまりのない文章になってしまったと遅ればせながら反省しています。もう少し焦点をしぼって深く書いた方が良かったんではと思っています。まあそれは「後悔先に立たず・後に出す知恵 先に出せ」ですが…(トホホ)。前述したように私の過去を知っている方には「もういいよ!」と拒絶されそうな話なのでそんな方は読み飛ばしていただいて結構です。それでも…と言われる「キトク」な方がいらっしゃったらよろしくお願いします。まあせっかく書いた原稿なので自分のブログにあっぷするくらいはお許しくださいませ。それでは「ボツになった原稿・タイトル・家族と音楽に感謝です」をアップします。ちと長いですが読んでいる途中で倒れないように。今回は言い訳の投稿でした(ペコリ)。

     「家族と音楽に感謝です」
 運ばれたR病院のICUに入った私は翌日になって目覚めたようです。左横をゆっくりと見ると家内が椅子に座っているのが見えました。すぐに近寄って来た家内は、私の状態について説明してくれました。「脳内出血」を起こしたらしく右半身にマヒがあるということです。そんな話を聞いていた私は症状について色々と質問したかったのですが、驚いたことにロレツが回らず言葉にならないんです。言葉にも障害があるようでした。
 1992年4月30日、その日の夕方から痛み出した下腹は時間が経つにつれ痛みは増すばかり。11時を過ぎた頃には脂汗をかくほどの激痛となり、ついに「救急車を呼んで!」と家内に頼みました。当時私は地元にある電子部品工場に勤務するサラリーマンでして、もう少しで36歳になろうという頃でした。尚これはかなり後で分かったことですが、腹痛で始まった私の病は実は尿管結石だったようで、痛みに耐えている内に、徐々に血圧が上がり脳内出血を起こしたのではという推測でした。 その後すぐに容態が悪化した私は二日ほど眠ったようです。そして次に目覚めた時には視力を完全に失ってしまっていました。失明の原因は不明だそうです。そしてロレツが回らずうまくしゃべれなかった言葉は不思議なことに回復して以前と同じように話せるようになっていたのです。神様は命と言葉を助けて下さった代わりに、視力を奪い私に新たな試練を与えられたのでしょう。 しばらくしてリハビリが始まりました。まずはPTの先生にベッドサイドに来てもらい、固くなり始めた身体をゆっくりとほぐしてもらうことから始まりました。そんなリハが毎日続く中、家内は弁当持参で朝8時に病室に来て、私の着替えや食事の介助そして手足のマッサージと一日中お世話してくれまして、夜8時に帰宅するといったハードスケジュールだったんです。落ち込んで毎日泣いてばかりいる私の姿を見て「たまには音楽でも聴いたら?」と気遣ってくれていました。しかし私はどうしても聴く気にはなれなかったのです。これから生活は?仕事は?家内と二人の子供達は?といくら考えても出るのは涙ばかりで結論らしきものはまったく出ませんでした。そんな日々がしばらく続き、私のリハはベッドサイドから訓練室に出向いてと進んでいました。そんなある日、私はいつものように病室で家内にマッサージをしてもらっていたんです。私は何故か突然音楽が聴きたくなりました。「達郎のカセットはある?」と家内に言いました。流れた曲は、元気だった頃にいつも車の中で聴いていた山下達郎さんのアルバムでした。次々に流れる達郎さんの曲を聴いていたら急に不思議な気持ちになりました。そしていつもはピクリとも動かない右の足首が何となく動いているように感じたのです。「もしかして動いていない?」と家内に尋ねてみました。しばらく無言でしたが「良かったね」と言う小さい…声、それは涙声でした。その時聴こえていた曲は確か「ミュージックブック」でした。その後リハは更に進んで、約一年半後に私はめでたく退院となりました。久しぶりの我が家で私は障害者として新しい生活を始めることになりました。慣れない生活の中で私の楽しみと言えばやはり好きな音楽CDを聴くことでした。早速聴いたのはボブ・ジェームズ。昔から好きでよく聴いていた70年代に流行ったフュージョンのアルバムです。「マルディグラに連れて行って」そして「愛のためいき」、ウーンいいよねえ。特にボブのエレピソロを聴いていると、次のフレーズが記憶していたように出て来て「うんそうそう」と大満足。すると身体が何故か温かくなるように感じたんです。それはマヒしかけた私の心の中にゆっくりと染み入って来るようでした。まさに癒やされました。
 退院してからは子供達の支えも大きかったです。ある時こんなことがありました。尿意を感じた私は早速トイレへ。出し終わって立ち上がろうとしてビックリ。尿が漏れていてパンツもズボンもびっしょりなんです。「ああ、やっちまったよう!」。目が見えないのでいつも注意してやっていたつもりだったんですが…。私は初めて失敗しました。そしてかなり落ち込みました。するとそんな私の姿を見て中一になっていた息子が私の隣にやって来てこう言ったんです。「一回くらい失敗したからって気にすんなよ」。そして肩をポンポンとたたいて「ほな、頑張りやあ!」と変な関西弁を使いながら部屋を出て行きました。これは以前から私が子供達に言っていた言葉なんです。息子はそれを私に使いました。「やられた!」と私は笑ってしまいました。そんなドタバタもありますが、私の試練はまだまだ続きます。でも家族と音楽に支えられて何とか乗り越えられそうな気配です。そして「障害は不便ではあるが不幸ではない」ということをあらためて実感する日々です。


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