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「復活の日がまたやって来ました」



     「復活の日がまたやって来ました」
かなり過ごし易い気候となりました。でも朝晩だけはまだ肌寒いように感じますのでなかなか気が抜けませんよね。今年はやはり暖かくなるのが遅いように思います。
さて今年もまた私の「命日」がやって来ました。入院当初に何度かあった生命の危機も病院関係者の方々の適切な処置・看護のお陰で、何とか命だけは助かったわけです。よってやはり「命日」といった方がピッタリと思っていたんです。しかし「命日」はどうも聞こえが悪いというお言葉もありますので、これからは「復活の日?」とすることにしました(それかよっ!)。その「復活の日」ですが早いもので丸19年となりました。毎年この日になるとやはり当時の状況を思い出します。でも正直なところ私は細かいことは覚えていないんです。後で家族から話を聞いて「そう言えば…」といった感じなんです。ある程度正気?に戻ってからは身体の痛み・食事や水の摂取制限などなどつらい思い出ばかりです。そんな中で最もお世話になった看護師さんとの思い出はかなり印象的なものとして残っています。中でもUさんという補助看護師さんのことは決して忘れられません。Uさんは私のおふくろと同じくらいの年齢だったと思います。とにかく良くお世話していただきました。ずっと後になってUさんが話してくれたんですが、私の半袖肌着がUさんの息子さんの物とメーカーなど同じだったそうです。よって何となく気になっていたらしいです(母親というのはそんなものです)。そんな単純なことが私にとってはとてもラッキーだったわけですよね(ニコ)。ICUに入った私のことを心配して廊下の長椅子で待っている家内とまだ幼い二人の子供たちの姿は痛々しかったそうで、かなり気になっていたとのことです。特に無邪気に遊ぶ子供たちの姿を見て「先生!、あの子供たちのためにお父さんを助けてあげてください」と脳外科のドクターに強く訴えたそうです。まるで身内ですよね。これはやはり自分の息子さんとかなりダブッテ見えたようです。この話は私が退院してから数年後にUさんに会った時に「実はね…」ということでそっと話してくれました。私は泣いてしまいましてね。Uさんも泣いていました。そうそうこれは入院中のことですが、回復した私が初めて入浴の許可が出て入った時に、「よく帰って来たねえ」とそれは嬉しそうに言いながら脂ぎった私の顔を石鹸でゴシゴシ洗ってくれたのはこのUさんでした。その時私は何のことだかさっぱり分からずキョトンとしていたことを覚えています。それはそういった意味だったんですねえ。入院中私はUさんのことを「お母さん」と呼んでいました。ナースコールしてたまたまUさんが来てくれるとホッとして単純に嬉しかったものです。Uさんはちょっと口は悪いけど心はとてもやさしいんです(ニコ)。まさに頼りになるお母さんでした。そんなUさんたちの助けで今の私があるわけですよね。本当に感謝しています。
さて来年はいよいよ20年です。一つの節目ですよね。みんなに支えられてここまでどうにかやって来ました。感謝の気持ちを忘れないように。20年を目指して今年一年元気でやりましょう。みなさん、よろしくお願いしまーす(ペコリ)。






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未分類 | 10:21:06 | Trackback(0) | Comments(1)
コメント
 復活丸十九年ですか、すごい事だと思います。
 復活と言っても、単に生命が戻ったという事だけでなく、苦難を通じて新しい五感の開発形成、新しい物の見方考え方、新たな生きる方向を模索・開発しながら成長してきた所がすごい事だと思ったところです。
 先日、右脳だったか左脳だったか忘れましたが、失った子だもが、リハビリを通じて、残った脳が失った脳の役割を代行する様になった、という奇跡を知りました。
 人間の体は、神様がすごく精巧に、そして努力すればいくらでも新しい能力が開発されるように造られたのだと、私は考えています。
 君の毎日のリハビリが、きっと新しい君につながって行くと信じています。
2011-05-08 日 09:06:11 | URL | giyuusan [編集]
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