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「熊本地震・その2、防災対策を考えるきっかけとなりました」
     「熊本地震・その2、防災対策を考えるきっかけとなりました」
続きです。
今回の地震はやはり油断していました。「この辺りは地震はない!」、実際たまに地震があっても震度3か4くらいで済んでいたんです。それで今回の大地震、誰もが「まさか!」だったはずです。我が家は夏の台風に対しては、瓦が飛ばないようにガッチリと固定していました。しかし地震への対策はどこの家もほとんど出来ていなかったように思います。我が家は阪神大震災の後、コンポが入っているラックと箪笥は金具で固定した憶えがあります。それ以外はまったく対策は出来ていませんでした。それで今回の大地震の直後から家内の「防災」に対してのスイッチが入りました。ここ1カ月ほどかけて今後起きると予想される地震への対策をやり始めたんです。そう、日奈久断層というのがすぐ近くにありますからね…(怖い怖い!)。今回やった対策としては食器棚や箪笥類を金具で固定したり、窓ガラスにはフィルムを張って割れた時に飛び散らないようにしたようです。これはと・り・あ・え・ず です。震度7といった大地震が起きたら…、その時は「ごめんなさい!」です。それと非常持ち出し袋を作って避難時に備えたようです。
震度7を記録した益城町などの被害の大きさを聞く度に私の住む八代から水俣など県南部にかけての意外と被害の少なかった地区の人たちは「罪悪感」みたいなものをきっと感じているはずです。同じ熊本なのに、私たちはこんなに「普通・幸せ」でいいのだろうか?。そんな気持ちになってしまうというのが正直なところです。本当に普通に電気・水・ガスを使えるという幸せ、そして普通に家に住みそこで暮らせるという幸せ、これはもう普通ではなく特別にハッピーなものかも知れません。とにかく「普通に生活出来る幸せ」に感謝!です。

最後に、今回の地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。そして被災された方々には心からのお見舞いと、一日も早く以前の生活に戻られることをお祈りします。
まだ余震は毎日続いています。家内はその度に「キャッ!」と叫んでバネ仕掛けのように飛び起きます。やはり怖いですよねえ。先は見えませんが「負けないように!」、とにかく前進しましょう。



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未分類 | 14:40:41 | Trackback(0) | Comments(0)
「熊本地震・その1、大地震・避難、初めての経験でした」
     「熊本地震・その1、大地震・避難、初めての経験でした」
こんな大地震、私は60年ほど生きて来て初めて経験しました。我が家の86歳のじいちゃん・そして近所の90歳ほどのばあちゃんでさえ「生まれて初めて!」という大きな地震でした。震源地の益城町や隣接する熊本市内そして西原村などは震度7という強烈な地震だったようです。ビルや家屋は倒壊し直後から電気・水・ガスがすべて次々と止まったそうです。幸いなことに私の住む八代地区は震度6弱だったそうで瓦などが落ちたりしたとのことですが、家屋が倒壊したといったことはほとんどなかったようです。それと電気・水・ガスなどライフラインも停止することもなく、被害の大きかった益城町などには本当に申訳ないのですが「まったく普通!」でした(すみません、ペコリ)。
震度7の益城町や熊本市内へは我が家から北へ20~30キロほどしか離れていないんですが…。やはり地下の活断層がどこを通っていたかがその分かれ目のようです。いやー、実に怖い!ことですよねえ。
私たちは3度避難所に移動しました。以前お話ししたように私はその時は肋骨を骨折してから1カ月とちょっとでして、やっとやっと痛みがやわらいで来たところでした。そんな時に避難!です。1回目は益城町が二度目の震度7を記録した時です。その時はナント「津波注意報」が出ましたので、急いで車に乗り避難しました。津波、それは怖いですよね。その怖さは東日本大震災で十分過ぎるほど聞きましたので、私たちとしても知ってはいるつもりでした。車に乗っていざ出発。しかし我が家の前の道路に出よう年てもナント道路は渋滞していて出られません。我が家から海までは本の数キロ。それでみんな車で逃げようと必死なんです。それでも何とか道路に出まして海とは反対方向へ。しかしここら辺りは大昔からの干拓地でして、高い所がありません。とにかく台風や大雨の時の避難場所となっている地区の施設の駐車場へ入りました。そこで「津波注意報は解除されました」とラジオで聴きまして…(ホッ!)。それを聴いて「それじゃ家に戻ろう!」と引き返しました。家は特に傷んでいる様子ではなかったので、年寄りたちは自分の部屋に戻ってそのまま寝たようです。しかし私と家内そして娘の3人は「まだ怖いよう!」ということで、その夜は庭に止めた車の中で寝ることにしました。
その後、八代市は震度5強・震度5弱と続いて発生しまして、その度に避難所へ直行しました。その度に骨折している部分の痛みは徐々に増して来まして…、もう溜め息でした(フーッ!)。

私たち障碍者の避難は正直言って大変です。避難所での生活は健常者であってもつらいものです。私は車椅子を使っているので乗り降りがとても大変です。夜中にトイレに行く時は周りの人たちにスペースを空けてもらい…。それはそれは気を遣います。幸い私はそれぞれ一泊ずつ2度でしたので良かったんですが、家が倒壊しての避難所の生活となった場合、長期になるためやはり福祉避難所を使わせてもらうということになりますよね。現実にそうなった時は、また違った問題できっと悩むことになるのでしょうが…。

続く


未分類 | 13:46:32 | Trackback(0) | Comments(0)
「肋骨骨折、やはりかなり痛いよーっ!、クスン」
     「肋骨骨折、やはりかなり痛いよーっ!、クスン」
とても過ごしやすい気候となりまして、世間はお花見やら新人歓迎会とやらであちこちでまさに宴会大盛況の時期となっております。そんな世間は楽しく浮かれた気分真最中の折、私はというと、ナント肋骨を骨折してしまいまして…もう気分は最悪な時を過ごしておりました(イテテテテテー、シク)。こんな季節のご挨拶も骨折その後の地震騒動で完全にタイミングをはずしてしまって、まったく間の抜けたものになってしまいました(すみません、ペコリ)。

さてさて、思い出したくもないんですが、それは3月9日午後6時頃、トイレに行って用を足した後車椅子に戻ってパンツ類を上げようとしていた時に突然咳き込んでしまったことから始まりました。それでヨロついた私はバランスを崩してしまいまして、車椅子の右側のひじかけをナント飛び越して右側後方の床にドスンと激しく倒れてしまいました(アイタタター)。そのガシャンというすごい音を台所で聞いた家内は急いでトイレに走って来てくれまして、洗面所の前の床に倒れている私を見つけてすぐ助け起こしてくれました。

その時は身体中が痛かったんですが「まあ打撲だろう」と思いましてその夜は何とか寝ました。そして翌日起きてみるとまだ身体のあちこちが痛くて痛くて…。とにかく病院に行って念のため検査してもらうことになりました。
病院に付くと脳外科を受診して頭部のCTそして胸部のレントゲン撮影。頭部CTは特に異状なしでしたが胸部レントゲン検査の結果は、ナント「肋骨が折れている」という診断てして、痛みが取れるのに1~2カ月はかかるだろうという話でした(シギャピーッ)。それを聞いたとたん痛みが増したように感じるから不思議なものですよねえ、まったく(ニコ)。
家に戻って話しをしたりせきをしたりすると痛いのなんのって…。くしゃみなんてとんでもないことです!。それとベッドに横になったり起き上がったりするとそれはそれは痛くて痛くて…。自力ではとても無理なので「電動ベッド」をケアマネージャーさんに頼んで手配してもらいました。業者さんはその日のうちに来てくれまして、電動ベッドとやらが私の部屋にセットされました。これでベッドに横になるのと起き上がり動作はとても楽になりましたとさ(ホッ)。それと今後またこんなトラブルがないようにとりあえず予防対策をしました。まずパンツ類を上げていた場所を変更しました。用を足した後に車椅子の位置に戻ったらまずそのまま車椅子に座る、そして手すりのある比較的安全な位置に移動した後にゆっくりパンツ類を上げることにしました。それから今回のようにもし転んでしまった時の対策として、無線での緊急通報装置の送信機を首にぶら下げておくことにしました。今までは便器のすぐ脇の壁に通報ボタンはあったんですが、転んでしまったら何の意味もなくなってしまいますからね。それと受信機は誰かがいつも居る茶の間に設置しました。

それから1カ月ほど経って骨折の痛みも少し和らいだと思っていた頃、突然今回の熊本地震が発生しまして…。その後の大騒動の様子は(いつになるかはわかりませんが…)次回です。




未分類 | 17:29:09 | Trackback(0) | Comments(0)

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