■プロフィール

ピョン吉

Author:ピョン吉
FC2ブログへようこそ!

■最近の記事
■最近のコメント
■最近のトラックバック

■月別アーカイブ

■カテゴリー
■ブロとも申請フォーム
■ブログ内検索

■RSSフィード
■リンク
おやじに感謝です!。
私は退院してから十数年間、それまで入院していた病院にリハビリするため一週間に一度通っていました。当時はそんなこと出来たんですよねえ。それが今ではまったく出来なくなってしまったんですから本当に困ったものです。診療報酬の改定とやらで外来でのリハビリ継続が出来なくなりました。リハビリをしたいのであれば介護保健などを使ってデイ・ケア施設でということですが、私の住むここら辺りでは施設の設備などが充実していないのでやりたくても出来ない状況なんです。中途半端な所に行ってリハビリをするよりは自宅で自主トレを時間をかけてやる方がよほどいいように思います。とにかく今まで普通にリハビリ出来ていた病院がせっかく近くにあるのに、利用出来ないなんてまったくひどい話ですよ。誰のためのリハビリなのか、何のためにリハビリをやっているのか、それをよーく考えてほしいものです(そうだ そうだ)。
話はちとずれてしまいましたね。さてリハビリするため病院にまだ通えていた頃私は実家のおやじに頼んでリハビリに連れて行ってもらっていました。おやじは幸い退職していて手伝ってもらえる環境だったんで助かりました。本当は私の方がおやじをお世話してもまったくおかしくないのに、完全に立場が逆になってしまっていたんです。私はそれが本当になさけなくて…。とにかく申し訳ない気持ちでいっぱいでした。そういつも思っていた頃病院に行くと必ず会う人が居ましてね。その人はやはりリハビリに通って来ているおじさんに付き添っている奥さんでした。この人が時々言う言葉があります。「いつも息子さんを連れて来られてお父さんも大変ですねえ」とおやじに言うんです。確かにその通りでした。「やはりそうだよね、大変なことだよね」とあらためて考えてみると私はまた心が痛みました。おやじにお世話になっている自分がなさけなくて正直なところつらかったんです。おやじはそんな私の思いを察していたようで「ハイどうも」と軽く笑って応えていました。「これは普通の挨拶であっておやじを労っての言葉なんだから」と理解するにはちと努力が必要でした(フゥー)。そうそう、その奥さんがある日言った言葉には違った意味があるように感じたことがあります。「お父さんも大変ですねえ」といつものように言った後「お父さんに感謝せなあかんよ」と私の肩を叩いて言ったんです。「エッ?」と私は一瞬思いましたが「ハイ」と笑って応えました。あの人は私が分かっていないと思いわざわざ念を押したのかもね。もしそんな印象を奥さんに与えていたとしたら…、とにかく残念でした。私は笑ってはいましたが心は泣いていました(クスン)。いつもおやじに申し訳ないと思いただ感謝の気持ちでいっぱいなのに、そう受け取られていたらと思うとやはり悔しかったですねえ。それはちょっと複雑で敏感なところを他人にグイッと突かれたような思いでした。



スポンサーサイト
未分類 | 11:30:21 | Trackback(0) | Comments(0)
危険がいっぱい
手足が不自由なことはまあ仕方ないと考えていましたが、視力がないということについては我が家に帰ってからあらためてそのつらさを実感しました。入院中やっとマスターした歩行訓練も、我が家においてはかなり難しいものがありましてね。あれは広く障害物のない場所だったので思いっきり出来たんです。我が家ではそうは行きません。歩くスペースも限られているし当然ベッドや壁そして戸などあるわけです。誰かに誘導してもらえばどうにか歩けたと思うんですが…。何しろ昼間は私一人なんです。当初は決死の覚悟で杖をついて出来るだけ歩こうとはしました。しかししかし、視力のない者にとってはかなり危険なんです。そしてついにやってしまいました。バランスを崩してよろけましてね。幸い完全には倒れず壁に寄りかかった状態でどうにか踏みとどまったので助かりました。そんなことが続けて3回ほどありましてね。倒れても一人なのでどうしようもないし、ましてやケガでもしたら大変と、とりあえず杖で歩くのは止めて、不本意ながら車椅子にお世話になることになりました(トホホ)。
ところでこの車椅子ですが以前にもお話ししたように一度トイレで転んでしまったことがあります。便座に乗り移ろうとした時左足を便座にぶつけてしまいバランスを崩して床に倒れてしまったんです。仰向けに倒れていたようですが何処にどんな風に居るのかさっぱりでしてね(ここは何処?私は誰?、そこまではないだろ!)。その時も一人だったんです。とにかく立ち上がろうとあちこち周りを触ってみると便座のすぐ脇に転んでいるのが分かりました。そうすると車椅子はここら辺りだよねとまた捜してやっと発見。必死の思いで車椅子に乗り上がりました。悪戦苦闘すること約30分、私は無事帰還しました(フゥー)。しばらくして右手首がズキズキ痛むのが分かりました。よーく考えてみると仰向けに転んだ時お尻の下に右手を敷いていたことを思い出しました。あの時私はパニックになっていて何処が痛いのか分からなかったんです。これは右手かもと捜したらお尻の下で発見しました(ニコ)。家内が帰って来てから手首を見せるとかなり脹れていたそうです。捻挫だったようで一週間ほど湿布を張りました(トホホ)。
例え車椅子を使っていてもこんな風に倒れてしまうことがあるんです。油断したわけではないんですがつい転んでしまうんですよねえ。杖での歩行を自重したのは正解だったようです。転んで打ち所が悪かったら命に関わりますからね。確かに杖を使って歩くことは大切なことですが、とにかく危険がいっぱいだとあらためて思いました。


未分類 | 14:29:29 | Trackback(0) | Comments(0)
若葉の頃、すべてが勉強です。
退院して私の障害者としての新しい生活が実際に始まりました。一年半の入院で現実に私の身に起きたことについてはと・り・あ・え・ず受け入れてはいました。それは病院という特殊な環境に居たからこそ出来たんですよね。周りは同じような患者さんばかりで特に気を遣う必要もなく、穏やかな精神状態を保てたのが大きな要因だったようです。やっと現実を受け入れ始めた頃退院となりました。そしていよいよこれから障害者としての実生活が始まると思うと私はいつになく身の引き締まるような思いでした。
いざ生活を始めてみるとそれは色んなことが障壁となりました。まず部屋の地図をしっかり頭の中に刻み込むという作業ですが、やはり大変でした。これをやらないととにかく身動き出来ませんからね。ベッドを中心として壁や窓そしてカーテンなどの位置関係をしっかり確かめたり、何処に何が置いてあるのか何度もそこへ行って実際に触ってみて覚えました。この一々実際に触ってみて確認するという作業は根気の要ることなんですよねえ。もういいじゃないかと思う反面、もしなかったらと考えると気になって仕方なかったりしましてね。神経質になり過ぎだったんです。ちょっと精神的におかしくなるんじゃないかと心配するほどでした。「もっと気楽に」、これがこの頃の合言葉でした(フゥー)。また戸を開けて部屋を出て洗面所そしてトイレの位置関係を覚えるのも大切なことでした。ここで生活するために最低限必要なことですからね。こういうことは繰り返してやらないと覚えないんですよねえ。まさに忍耐力勝負でした。入院中はそこまでやる必要がなかったんです。安全な場所でやさしい看護師さん(ニコ)たちに見守られての生活だったので、やはりすべておまかせというところがありました。そんな温室育ちの私にとっては我が家に帰ってから初めて味わう障害者としての実生活での厳しさだったんです。出来るだけ自分一人で生活すること、それは障害者の若葉マークとして最初にやるべきことでした。


未分類 | 14:36:13 | Trackback(0) | Comments(0)
試練は続くよどこまでも。
ブログを始めてから二度目のお正月を迎えました。今年もよろしくお付き合い下さい。
さて今回は退院してからのお話です。退院したからと言ってリハビリが終わったわけではありません。実際には退院した後の実生活に如何に早く慣れて「普通の人」に戻るか、それが最も大切なことなんです。よって心を一度リセットして新しい気持ちでスタートしなければいけません。これからが本当の試練なのかも…、ですよね。
私もやっと退院ということになりまして、それはそれは嬉しいかぎりでした。やはり住み慣れた家はその匂いを嗅いだだけで心が落ち着き空気まで柔らかく感じるから不思議なものです。我が家での生活を始めてみるとすべてのことが新鮮でした。特に目が見えないということで音には敏感でした。台所から聞こえて来る庖丁とまな板の当たる音、何かを炒めている音そして掃除機をかける音などです。健康な時にごく普通に聞こえていた音なんですけどね。それは今まで以上に大きく鮮明に聞こえて来ました。中でも子供部屋から聞こえて来る子供達の笑い声には心が騒ぎましてね。「何をやってるんだろう?」とすぐに部屋に行ってみたいと思いながらも行けない私に腹が立ってちと悲しくなったものです(クスン)。音だけの世界はイメージが大きく広がります。それは実際以上になってしまう場合もあったりして、面白いけどちょっと怖いような世界なんです。人は情報の8割を視覚によって得ているそうです。よって五感の中で視覚を失ってしまうと残る聴覚・臭覚・味覚そして触覚をフルに活用してそれを補うことになります。しかし8割という穴は大きいですよねえ。その穴を少しでも埋めるためにはイメージの向こう側にある第六感というものもとても大切になるように思うわけですが…。イメージも慣れが必要のようです。「微妙な違いなんて分かるはずがないんだからまあボチボチやるか」と私はちょっと肩の力を抜いて気楽に考えることにしました(そうそう)。
私は聴覚の感度が上がっているような気がするんです。誰かが床に何かを落とした音などとても大きく感じるんです。それは小さい物でもかなり大きく聴こえて時にはドキッとしたりします。健常者の感度がレベル1としたら私たち視覚障害者はレベル3くらいで待ち受けしてるんじゃないかなあ(ニコ)。それほどアンテナをグッと伸ばし感度を上げて生活しているんです。またこれは意識しているかいないかでかなり違いがあるようです。予想しているといないとではドキッとする程度が違います。だから健常者は出来るだけ小さい音(ノックするとか足音を立てるとか)でとりあえず私たちに意識させた後、それからおだやかに声をかけるようにして下さい。突然大きな声でというのは最悪です。驚くだけでせっかく話してくれる内容も聴く気にならないかも知れませんからね。またその場に一緒に居たとしても突然物を放り投げたりこちらが予想出来ない音を立てたりするのは考えものです。私も出来るだけそんな状況に早く慣れてドキッとする場面を少なくしたいと思ってはいるんですが…、未だに出来ていないようです。まあなかなか難しいものです。試練は続きます。



未分類 | 11:25:58 | Trackback(0) | Comments(0)

FC2Ad