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雨のち曇り時々晴れ、「毎日がスペシャル」
     [雨のち曇り、時々晴れ]

     「毎日がスペシャル」

 患者はみんな失ってしまったことにとにかくこだわります。今まで無意識の内に自由に動いていた手や足が突然動かなくなってしまうのです。これは健常者からはとても想像出来ないことでしょう。私も健康だった頃には思ってもいなかったことであって、まず驚き「これはウソだ、夢なんだ」とまったく信じられなかったのです。しかし朝目覚める毎にやはり動かない手足を見せられると、これは現実に私の身体に起きたことなんだともう認めざるを得なくなるのです。動かなくなった手足はとにかく重いのです。健康な時には動くことが当然であって、特に手足の重さなど意識して考えたこともないですよね。力が入らなくなりダラリとしてしまった手足は冷たく重いのです。これを実感すると同時に健康の重さ・大切さを思い知らされるのです。しかしこんな風にまるで修行僧の悟りの心境みたいに素直に考えられるようになるには、リハビリが始まり精神的にも落ち着き自分自身を客観的に見られるようにならないとちょっと無理かも知れないので、やはり時間がかかるようです。今の現実が理解出来るようになると失ったことへのこだわりは自然と消えて、自分に残っていることを考えられるようになります。例えば動かなくなってしまった手足のことはもうここらで忘れて、「自分にはまだもう片方の手足がある、それを大切にしよう」と気持ちが「前向き」になるのです。私もやっとそのことに気付きました。失ってしまったことをいつまでもクヨクヨ考えていては自分が段々と小さくなって行くようでとても嫌だったのです。これからのことを考えると確かに不安でつらくなり切りがありませんよね。しかしそんなことで悩むよりは残っている機能をフルに使って今を楽しんだ方がいいんじゃないかとまさに「前向き」に考えるようになったのです。簡単なことのようですがこれはやはり「悟りの世界」ですよね。とにかく本人がいちばんつらいのです。この心境に至るまでには時間が必用です。家族も焦らずじっくり付き合いましょう。
 リハビリ室では患者さんはみんな一生懸命です。それに付き添って来ている家族の思いもきっと本人と同じでしょう。しかし中には「ちょっと…」と思う家族が居ます。ある人は他の患者さんのことについてとにかくしゃべりまくるのです。あの患者さんの名前は誰で・仕事は何をしていて・どんな状態で・家族子供は何人いるとか、それはそれは詳しく周りの人に説明しているのです。そんなことどうして知ってるの?。単純に考えるとすごい情報収集力でして、もう見事と言うしかありません。しかししかし、ここは井戸端会議じゃないんだよ!。その患者さんのことを心配して話しているようにはとても思えないのです。それはまるでテレビのワイドショーみたいにただの噂話のような内容でしかないのです。聞いている本人はどう思うでしょうか?。「そんな話はもう止めてくれ!」と思っているはずです。患者はみんな敏感です。自分のことを噂されるだけでも嫌なのに、ましてや家族・子供のことまで話題になっているともう泣きたくなります。そんな人にここで一言。あなたの言葉で本人がどれだけ傷ついているか、分からないでしょうねえ。分かっていたらそんなことしゃべらないよね。あなたが付き添っている人も同じ患者ですよ。他の患者さんのことについてなんやかんやとしゃべる暇があったら自分の身内のことをもっと心配してあげて下さい。どうしてもしゃべりたければ患者さんが聞こえない外へでてお願いします。ただでさえ落ち込みがちなのにそれ以上暗くさせないで下さい。患者を代表してのお願いでした。
 リハをやり始めやがてある程度状態が安定すると退院となります。この「退院」という響きはいいですよねえ。患者さんはこれを目指して毎日リハに頑張って来たわけですから喜ぶ気持ちもよく分かりますよね。しかし退院したからといってリハが終わったわけではありません。幸い後遺症が少なくて済んだ人は社会復帰して働けるでしょうが、残念ながら働けずにいる人も居るわけです。働ける人はそれが自然とリハになりますが、働けず家で生活する人は自ら積極的にリハをやらなければ身体のあちこちが固まってしまい最後には痛みが出て来て悩ませます。私は退院時Y先生にお願いして自宅で出来るリハメニューを作ってもらいました。いつも病院へリハに通えればいいのですが、なかなかそういうわけにも行かないので先生に依頼したのです。教えてもらった手足を動かす運動とさらに自分なりに考えた運動を組み合わせて、退院してから毎日欠かすことなくやり続けています。私はこれを「仕事」と思って日課にしているのです。お陰様で痛みはそんなには無いし体調もまあまあといったところですね。この自宅でのリハ(自主トレ)をやる場合も人それぞれですから決して無理をせず自分なりの運動でいいと思います。びゃんびゃん歩ける人は自宅周りをゆっくりとやればいいし、そうでない人は出来るだけ室内を歩き回るようにし、動きの悪くなった手足については間接などをゆっくりと伸ばしたりして固まらないようにするといいでしょう。病気直後からの入院中のリハは、ある程度の段階までの機能回復を目指してやるものですが、退院してからのリハはこれ以上悪化しないように現状維持を最低限の目的にしていると思います。だから自主トレをサボったらその代償として痛みが出て来ると思って下さい。私たちは幸いにして命だけは助かったわけですからまずそのことに感謝するべきです。そしてリハを毎日少しずつでも続けるということは私たち救われた者にとって神様への恩返しのつもりでと理解してみてはどうでしょう。私たちは一日一日が「特別」なのです。この世にまだ縁があって生かされているわけですから一日一日を大切にして、毎日何もないというのはつまらない・退屈だということではなく、「体調は異状なし、お陰様で今日も元気です」と理解して「特別な日なんだ」と思って下さい。毎日生かされていることに感謝、毎日が特別・スペシャルなのです。(「毎日がスペシャル」は歌手の竹内まりあさんの同名タイトル曲からいただいてしまいました。まりあさん、ごめんなさい。ペコリ)

 

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未分類 | 13:57:43 | Trackback(0) | Comments(0)
雨のち曇り時々晴れ、「恥ずかしいは立ち直りの証し」
     [雨のち曇り、時々晴れ]

     「恥ずかしいは立ち直りの証し」
     
 嫌々ながらとりあえず始めたリハビリであってもしばらくやっている内に意外とそれが「日課」のようになって知らず知らずハマッテ行くようです。時間になると自分で車椅子に乗って「いざ出陣」といった具合になるともうしめたものです。この頃になると今の自分の現実というものをある程度理解し受け入れ始めているのです。そして一日でも早く病院でのリハビリを終え退院して何としてでも立ち直りたいと思っているのです。こんな目標が出来ると人はそれを目指して頑張るものです。目標は具体的であるほどいいようです。退院したら例えば釣りをしたい・温泉にゆっくりつかりたい・好きな食べ物を食べたいなどなどやりたいことを頭の中にイメージしたらいいでしょう。私はとにかく字を書きたかったのです。昔から字を書くことは大好きでしてそれが出来たら自分の思いを自由に詩や文章に出来るし、また手紙を書いて友達などに送ることも出来るのです。しかし残った左手で書こうとしても視力のまったくない私にとってはかなり難しいことだったのです。そこで思いついたのがワープロです。キーボードの配列さえ覚えてしまえば字は書けるはずです。OTのY先生の話によると、パソコンを使用して音声でフォローしてくれるものがあるとのこと。実際家でやる場合にはそれを購入すれば出来るということでした。私は早速訓練を始めました。しかしOT室に置いてあるワープロはごく普通のワープロでして当然音声は出ません。だから私はまずキーボードの配列を左の上から右へ向かってすべて頭の中に叩き込みました。想像以上につらい訓練でしたが「字を書きたい」という目標・強い願いがあったからやり続けられたのです。正直言って私にはもうこれしかなかったのです。ちょっと大げさですがここであきらめたら私は一生このままだと思ったのです。だから必死でした。今こうやってパソコンを使用してメールを出したりインターネットであちこちのホームページを覗いて楽しんだり出来るのもこの時の訓練とY先生方の熱心な指導のお陰なのです。
 患者さんはみんなまず失ったものについて嘆き苦しみます。動かなくなってしまった手足などのことが悔しくて仕方ないのです。でもリハビリを続けている内に不思議に自然と忘れてしまいあまりこだわらなくなるようです。これは開き直ったことで不自由になった手足などのことを、まるで当たり前のことのように自分の身体で覚えてしまうのかも知れませんね。私はそんな頃車の免許証の更新時期となりまして、これを流してしまう・失ってしまうことにかなりこだわりました。身体のことは理解して受け入れていたのですが、車の免許を失ってしまうということはまるで今まで自分が生きて来た社会から切り離されてしまうようでとにかく寂しかったのです。やはり患者の思いは複雑なんですねえ。ちなみに私にとってはとても重要であったこの「免許証更新問題」は、「良くなったらまた取ればよかたい」と言ってくれた家内の一言で「あっそうたいね」とまさにあっさりと納得してしまったのでしたとさ。
 リハビリが進んでやがて病院を卒業してめでたく退院となると嬉しいものです。しかし嬉しいはずの我が家での生活がいざ始まってもあまり外へ出たがらない人が多いようです。これは外へ出ることで近所の人達と出会うのが「恥ずかしい」と感じるのです。知人は必ず「どやんしたつね?」と尋ねるので、ある程度自分の身体の状態について説明しなければならないわけです。それが嫌なのです。相手はどう思うだろうか?、「かわいそうに」と同情してくれているのではと思ったりしてなさけなくみじめに感じるのです。私もそうでした。自分の状態を話している内に突然涙が出そうになって困ったものです。しかし私はこう考えます。家族や親戚という身近に居る人達からもう一つ外に居る近所の人や友達といった人達に対して「恥ずかしい」という思いが出たらそれは「立ち直りの証し」なのではと思うのです。今まではとにかく自分のことしか考えられなかったのが、まず家族や親戚、そしてもう少し世界が広がって近所の人達などへと考えがおよぶようになるのです。これは社会生活にとって当たり前の付き合いがまた始まるわけであって「普通の人」に戻るための「立ち直りの証し」なのです。この「恥ずかしい」という思いも場数を踏んで慣れて来るか時間が経つと自然にどうということもなくなるようです。家族もここはもう一つグッとこらえてゆっくりとやらせてあげて下さい。本人も家族も忍耐力が必要ですね。



未分類 | 14:09:36 | Trackback(0) | Comments(0)
雨のち曇り時々晴れ、「ほんの少しだけ周りが見え始めたら…」
     [雨のち曇り、時々晴れ]

     「ほんの少しだけ周りが見え始めたら…」
 病気直後はあまりにもショックが大き過ぎてみんな苦悩し落ち込みます。そして考えれば考えるほど出るのは涙ばかりで、何も答えらしきものは出て来ないのです。身体・仕事・家族・生活などこれからどうなるのか、どうするのかという悩みが津波のように押し寄せて来て苦しめます。私もそうでした。「何で俺がこやんならんとあかんとや。何で俺や?、何でや?」ととにかく俺が俺がと自分のことしか見えていません。まるでこの世の不幸をすべて自分で背負ってでもいるかのような苦しみ様なのです。仕方ないですよねえ。予想もしていなかった世界にある日突然入り込んでしまったのですからね。こんな時には身近な家族がどんななぐさめの言葉をかけようとも本人はまったく「聞く耳」を持っていません。それは返って本人を怒らせてしまうかも知れないのです。こんな時期に私も家族から「これも運命だから…。前向きに行かないと」などと言われたことがあります。私は正直ムカッとしました。こんなにつらいことをただ「運命」という二文字だけで簡単に済ませてほしくなかったのです。まさに「聞く耳持たず」ですね。こんな時には例え身近な人がどんな立派な言葉をかけてくれたとしても本人へはほとんど伝わらないようです。だからなぐさめの言葉はここでは一先ずグッとこらえて飲み込んだ方が良さそうですね。まずは本人の苦しい胸の内を黙って聞いてあげることに徹しましょう。
 リハが始まり少し落ち着いて来ると不思議に周りのことが気になり出します。俺が俺がという自分だけのことしか考えようとしない世界から、いつも身近に居てくれる家族などについて、ほんのちょっとだけ世界が広がります。自分のせいで迷惑をかけてしまって申し訳ないといった気持ちが出て来るのです。これはいつもそばに居て話を聞いてくれる人として認め信頼し心を開くのでしょう。この頃になると少しは「聞く耳」を持ち始めるようです。私もそんなある日家族からこんな話を聞きました。隣の病室にはかなり状態が悪く寝たきりのじいちゃんたちが居るそうで、呼びかけても何も返事がなく目を閉じて眠っているだけとのことでした。食事は流動食で食べたい・食べたくないといった本人の意思にまったく関係なくチューブから注がれるそうです。ベッドから起き上がって自分の口で食べられたらどんなにうまいでしょう。私は身体が熱くなりました。私にはこの食事という一番楽しいことが出来るのです。右の手足は動かなくなってしまいましたが、私には左の手足があるのです。慣れない手つきですがちゃんと起き上がって自分の意思で口から食事が出来るのです。「これで毎日落ち込み泣いてばかりではこのじいちゃんたちに申し訳ないじゃないか。自分が一番不幸だなんて思ったらバチが当たるぞ」と私に気付かせてくれたのです。このように俺が俺がという自分だけの世界からほんの少しだけ身近な周りのことを考えられるようになる、「周りが見え始めたら」、それはもう立ち直りへの第一歩なのです。だからといって家族はここでさらに改心させようとなんやかんやと情報を与え過ぎないようにして下さい。本人はやっと「聞く耳」を持ったのです。一度に色んな情報を与えられてもそのすべてを「前向き」に処理するといった頭にはまだなっていないのです。家族も忍耐力が必要です。ここでも焦らずゆっくりやりましょうね。



未分類 | 14:29:19 | Trackback(0) | Comments(0)
雨のち曇り時々晴れ、「急がば回れ」
     [雨のち曇り、時々晴れ]
     
     「急がば回れ」
 リハ室ではみんなそれぞれの訓練に頑張っています。明るく前向きにリハに取り組んでいる「びゃんびゃん組」の人たちはもう放っといても自分でどんどんやって行くので大丈夫なのですが、まだまだ「半信半疑組」の人たちは無口の人が多いようで先生から次の訓練の指示がないかぎり自分では動こうとはしないのです。先生方もそれはよく心得たもので、手を変え品を変え時にはおだて、時には叱咤激励してと実に見事な対応です。これはやはり患者それぞれの症状が違うようにその人の性格というものも違って当然なので、そこら辺りも十分考慮しての対応なのでしょう。「半信半疑組」の人をいかにしてやる気にさせるか、それは先生方の一番の仕事でしょう。本人のやる気さえ出ればまず先生の仕事の半分は終わったと言っても良いのかも知れませんね。
 リハ室ではよくこんな言葉を耳にします。「もうなんもかんもあからんようになってしもた。ああ、昔はこやんじゃなかったとばってん」、付き添っているおそらく奥さんと思われるおばさんがそばに居る他人にまさに嘆くように大きな声で話しているのです。近くにはやっとやる気を出してリハに頑張っている本人が居るのです。聞いた本人はどう思うでしょうか?。昔の本人はもう居ないのです。そこに居るのは身も心もボロボロになりながらもこれからの人生を何とかやって行こうとしている「別人」なのです。だから昔の本人と比較するのは無理なのです。不本意ながらまさに「0(ゼロ)」からのスタートでして生まれ変わったのです。つまり赤ちゃんです。赤ちゃんはやがてお座りしそれからヨチヨチ歩きと少しずつ成長して行きますよね。それとまったく一緒なのです。ただ一つだけ違う所は、赤ちゃんは怖いという気持ちがまだないのでケガなどまったく恐れずまっしぐらに挑戦して行きますが、再スタート組はそれまでにそれなりの経験というものがあるのでただでさえ動こうとしない手足に変な力が入ったりちょっと躊躇したりして今一つ思いっきり出来ないようです。しかし焦ることはありません。赤ちゃんも一気には成長しませんからね。自分のペースでゆっくりやりましょう。焦って無理をして手足を痛めたりしたらそれが完治するのにまた時間がかかってしまいます。先は長いのです。「急がば回れ」ですよ。とにかく本人は前向きに行こうと頑張っているのです。身近に居る人は一度大きく深呼吸でもして神様になったつもりですべて受け入れてあげて下さい。本人を苦しませるような言葉は絶対言わないようにお願いします。つい言ってしまう気持ちもよく分かります。でも耐えてほしいのです。百歩ゆずって、どうしても言いたいのであれば本人の居ないところでお願いします。但し小さい声でヒソヒソ話でね。


未分類 | 11:52:46 | Trackback(0) | Comments(0)
雨のち曇り時々晴れ、「褒め上手」
     [雨のち曇り、時々晴れ]
     
     「褒め上手」
 大きな病気やケガで入院、そして状態がある程度安定するとすぐにリハビリが始まります。この時の気持ちというものも人それぞれでして、もう完全に割り切ってまさに積極的にリハに「びゃんびゃん」取り組む人と、まったくやる気がなく「されるまま」に渋々ととりあえずやる人とに分かれるようです。「こやんとで良うなっとや。痛かしきつかしどぎゃんでんよか!」と私も当初まったくやる気がなかったのです。こんな人はまだまだ自分の現実を理解していない、いや理解しようとしていないようです。それは無理もないですよねえ。つい数日前まではまさかこんな姿になるなんてまったく予想もしていなかったことが突然自分に起こったのですからね。しかし落ち込んでいる暇はないのです。本人にやろうという意思が例えなかったとしてもリハは容赦なく始まってしまいます。これは身体のいろんなところが固まってしまう前に 出来るだけ早いうちにリハを始めた方が良いということなのだそうです。これはもう開き直ってあきらめリハをやるしかないのです。
 最初はリハの先生が指や手足の間接そして筋肉などをゆっくりゆっくり動かしてくれます。もしやる気がなかったとしてもこれは黙って従いましょう。自分のために先生はやってくれているのですからね。しばらくすると身体を起こしてベッド上に座ったり、さらに進んで車椅子に乗り移り動きに慣れる練習があります。ここで身近な家族は「褒め上手」になって下さい。何か一つでも出来たら「おっ、出来たね」・「やったあ」・「よっしゃ、よかよか」などととにかく褒めて下さい。本人はもう何も出来ないと勝手に思い込んでいるようです。それに対して身近な人から思いがけず褒められたりするとただ単純に嬉しいのです。自分もやれば出来るんだといった気持ちに少しだけでもなれば次へつながるのです。「なんか、こやんこつもでけんとか!」などといった言葉は間違っても言ってはいけません。また「ほうこやんせにゃんとたい!」と尻をたたいて強制的にやらせようとするのはもってのほかです。言いたくなるのはよく分かります。しかしここは耐えて下さい。最初から無理強いしてもやる気をなくすばかりで決して長続きはしないのです。とにかく 本人はまだ半信半疑でリハをやっているのです。そんな時突然褒められたりすると誰でも嬉しくなるもので、「よしもういっちょ!」という気持ちになるのです。先は長いのです。焦らずゆっくりやりましょう。


未分類 | 10:59:24 | Trackback(0) | Comments(0)

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