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「大丈夫」・「頑張れ」・「かわいそうに」、言葉の使い方には注意です。
長い間入院していると色んな人との出会いがあります。ドクター・看護師さんなど病院関係者は当然ですが、入院している患者さん、その人たちを見舞いに来てくれる人たちなど様々な出会いがあります。この出会いはハッキリ二つに分かれるようです。それは出会って良かったと思える人とそうではない人です。前者の中には出合って本当に良かったとその出会いに感謝したいくらいの人も居て嬉しいかぎりですが、後者の中にはそれとはまったく逆にその出会いが悔まれてならない人も居ます。それはもう思い出すのも嫌なほどです。リハビリを担当してくれたPTのM先生とOTのY先生との出会いは本当に良かったと心の奥からそう思います。「ケガかこんな病気でもやらないかぎりM先生との出会いはおそらくなかったでしょうね」と入院中一度M先生に話したことがあります。「そういった意味ではこの病気をやって良かったかもね」と言うとM先生は苦笑いしていたようです(先生こんなこと言ってごめんなさい、ペコリ)。とにかくこの両先生との出会いを通してリハビリという今まで知らなかった世界をまさに身をもって知ることになりました。そうそうリハビリの学生さんたちとの出会いも新鮮でとても楽しかったですよねえ。振り返ると両先生に担当してもらって私は本当にラッキーでした。もし他の先生だったとしたら…、今の私ではなかったような気がします。
色んな人たちと出会い話す中で言葉の使い方がいかに難しいか、そして言葉は何よりも大切であるということをあらためて知りました。私にかけてもらった言葉で好きなのは「大丈夫」でした。この言葉は不安で焦っている私の気持ちをやわらげてくれましてね。「ゆっくり、これでいいんだ」と心がジンワリと温かくなったような感じでした。苦悩している人の気持ちを少しでも楽にしてあげるためにはやはりすべてをしっかりと受け止めて肯定することが大切だと思うんです。この「大丈夫」は私に安心感を与えてくれる魔法のような言葉でした。
嫌いな言葉はいくつもあります。その中で最も嫌いな言葉は「かわいそうに」ですね。これを聞いたのは同じ病室の患者さんの奥さんが私にかけてくれた言葉でした。「そうじゃないよう!」と私は心の中で叫びましたよ。奥さんはいい人です。ただ普通にかけた言葉で何の悪気もないんです。それは私も分かっているつもりです。しかしここでは使ってほしくなかったんです。こんなにつらい思いをしている自分にもっと同情してよとあえて「かわいそうに」と言ってくれるのを待っている人も居るかも知れません。しかしそれはあまりにも自分がミジメですよね。とにかくミジメな気持ちに浸っているなんて嫌です。私はそれだけでさらに落ち込んでしまいそれからのやる気もなくしてしまいそうな気がするんです。こんな時は「頑張って」の一言でいいと私は思います。こんなに頑張っているのにまだ「頑張って」と言うのかとこれを嫌う人も居るようですが、私はまったく気になりません。まあ私の場合は頑張りがまだ足らなかったのかも知れませんが…(ニコ)。この「頑張って」という言葉には広い意味があると思うんです。「このままじゃダメだ、もっともっと頑張れ」というものから「ようしその調子で気持ちを切らずしっかり」というものまで含んでいると考えるんです。それはその状況にもよるし言い方もそれぞれですから色んな意味があるのは仕方ないことです。とにかく受け取る方の気持ちが最も大事なので使い方には出来るだけ注意した方がいいでしょうね。私は「その調子でしっかりやって」と受け取りました。特にそう思ったわけではないんですが無意識にそう受け取ったようです。それは私の精神状態が安定していたか、それとも出会った人がたまたまいい人ばかりだったのかも…、ですよね。
思い出したくないんですが、仏のような私(ニコ)が切れてしまった言葉があります。それは病院内で時々会っていた人の言葉でした。会う度にまず第一声が「目は見えるようになった?」でした。必ず必ず言うんです。最初は私も作り笑顔で「いや」とやっと返事していました。もちろん私はムカついていましたよ。当時私は目が見えなくなったことをやっと受け入れ気持ちの整理が出来始めた頃でした。せっかく忘れようとしているところにこの言葉はつらかったんです。その人は悪気があって言っているんじゃないと何度も思い込もうとしました。しかしその言い方は私のことを本当に心配して言ってくれてるようにはどうしても思えなかったんです。「それを言う前にまず挨拶そして体調は?とか気分は?とかあるだろっ!、どうしてそれが言えないかなあ」と私はいつもそう思ってイライラしていました。そして何度目かに会った時私はついに切れてしまいましてね。「もういいっ、あっちに行ってくれ!」と怒鳴ったんです。その人は無言で私の前から消えました。近くに居たのかM先生はすぐにやって来て「どうしたの?」と心配してくれましてね。いつもは静かな私(ニコ)がめずらしく怒っているんで驚いたんでしょうね(先生ごめんなさい)。その後その人と会うことはありませんでした。おそらく会っていたんでしょうが私に声をかけなかったんでしょうね。その人は何故私が怒ったのか結局分かっていないと思います。少しでも気付いてくれていたらいいんですけど。私は知り合いを一人失ってしまう結果になりましたが、まあ縁がなかったと割り切って忘れることにしたのでした。


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未分類 | 15:04:44 | Trackback(0) | Comments(0)
「ありがとうね」 心のリハビリ、それは子供達です。
過ごし易い季節となりました。私は寒いのが苦手でしてね。この病気をやった多くの人はおそらく同じ思いをしているでしょう。寒いとどうしても身体が硬くなって思ったように動いてくれないんです。健常者でも寒いと自然と身体に力が入ってしまいますよね。私たちの場合は日頃でさえ動きの悪い手足なのにこれでもかと言わんばかりに力が入ってしまい痛みは出るしもう大変なんです。その力が自分でうまくコントロール出来ればいいんですけど…。まあこんな状態とうまく付き合って行くことがこれ以上悪くならないためのポイントと言えるでしょうね。
さて今回は子供達のことをお話ししておきましょう。現在長女が21歳、そして長男が20歳になります。いやいやすっかり大きくなってしまいました。私が病気した時二人は小二と小一だったんです。特に息子は小学校に入ってまだ1ヶ月足らずの頃でしてね。小さい身体に大きいランドセルという姿は本当にランドセルが歩いているようで面白かったです。帽子・標準服・靴・ランドセルなどなどすべてがピカピカのおニューなんですが、どれもがちとデカ過ぎるんじゃないかと思える格好は何ともカワユクてギュッとしたくなりましたね(最初から親ばかしております、すみません)。二人にはこんな姿になってしまって本当に申し訳ないと思っています。特に病気直後はあーんなことこーんなこともしてあげたかったと後悔する毎日でした。そして二人は問題なく真っ直ぐに育ってくれるだろうか、私のことで誰かにいじめられはしないか、父兄参観日には誰が行ってくれるのか、運動会は行けないよねなどなどマジでそんなことを考えて悩んでいたんです。それよりもまず私のことを「お父さん」と呼んでくれるだろうか、それが心配でした。「もし呼んでくれなかったらどうしよう」と思ったりしてもう泣きたいくらいでしたね。私がまだICU室に居た頃、息子は家内と一緒に病室に入って来たそうです。そして私に「お父さん」と呼びかけたらしいんです。当時私は意識はあったようですがほとんど眠ったままの状態だったんです(よく寝るヤツです、ニコ)。息子はそんな私に恐る恐る何度も声をかけたんでしょうね。私はそんなことも分からず眠っていたわけですが、その時私の隣りのベッドに居た患者さんが「ハーイ」と返事したらしいんです。それを聞いた息子は突然目を丸くして病室を出て行ったそうです。おそらく息子はかなり驚いたんでしょうね。こんなに声をかけているのにお父さんは返事も出来ないのかと沈んでいたところに隣りからいきなり「ハーイ」ですからね。ショックだったと思います。そんな気持ちを察すると今でも胸が痛くなります。
父親として受け入れてくれるだろうかという心配は私がやっとICU室を出て個室に移った時一気に解消されました。走ってやって来た二人はそのまま私のベッドに飛び乗り両脇に寝転んで私にしっかりと抱きついてくれましてね。嬉しかったですねえ。久しぶりの川の字で私は泣きたくなりました(クスン)。その時息子は個室のことを何故か「一号車」と呼んでいましてね。おそらく「一号室」から遠足か何かのバスを連想してそう言っていたんでしょうね。あまりにも「一号車、一号車」と連発する無邪気な息子が面白くて私は涙が出るほど笑いました(ニコニコ)。約一年半に渡る長期入院を終え退院してからの私の楽しみは、二人が学校から帰って来て聞かせてくれる色んな話でした。へえそうかあ、いやいやビックリ、なるほどなるほどと浦島状態の私には聞くものすべてが新鮮でしてね。二人もよく話してくれました。障害者となった父親に自分でしてあげられることはやさしくしてあげることだと二人は自然と分かったんでしょうね。二人との会話は私にとって心のリハビリとなったようです。病気する前によく行っていた旅行も再開しました。遠出は無理なので一泊の小旅行です。ホテルや旅館を選ぶ時子供達は自然と「お父さんは行けるの?」と家内と一緒に選んでくれていたようです。場所によってはどうしても行けない所もあり、子供達はあきらめることもありました。私としてはまったく申し訳ない…、それだけでした。しかしこんな心遣いは本当に嬉しく有り難かったです。家の中に車椅子があることだけでも人はやさしい気持ちになれるようです。当初息子は車椅子がめずらしくて部屋中を乗り回して遊んでいましたが、しばらくすると本来の意味を知ったようで止めてしまいました。障害者と一緒に生活することで二人が何かを感じて何かを始めてくれたらと、私はそう思っていたんです。二人は本当に素直に育ってくれました。
娘は今年作業療法士の国家試験に合格しました。リハビリを将来の職業にと考えて進学する学校を決めてくれた時も嬉しかったですが、この合格の知らせは最高でしたね。娘にはとにかく一生懸命やってもらいたいと思います。中途半端な対応は結局患者さんを悲しませることになり、ハッキリ言って迷惑ですからね。患者さんの立ち直りと社会復帰のために少しでもお手伝い出来るように頑張ってもらいたいものです。それは私としても最高の喜びです。





未分類 | 15:09:46 | Trackback(0) | Comments(0)
恐怖心をなくす、それが私のリハビリのポイントです。
今回はPT(理学療法)のお話です。以前お話しした沖縄の学生さんであるTちゃんが次の実習地に行ってしまい、私としてはやはりちと寂しい思いでしたね(クスン)。しかしそんな感傷に浸っている(ニコ)時間は当然ないわけでして、私のPTは本来の担当であるM先生に引き継がれました。当時ここの病院でPTの先生の中で女性はM先生だけだったようです。田島令子さん(まだ言っております、ニコ)のような声(声だけかい!、ニコ)のM先生は実に落ち着いていましてね。当時はおそらく25歳くらいだったと思います。私が知っている25歳はまだまだキャピキャピしていて、落ち着いた雰囲気を漂わせた人は少なかったようです。まあ私の知っている世界は狭ーい狭ーい世界なので何の参考にもならないわけですが(ニコ)。「落ち着いた雰囲気」、それはやはり仕事柄からなんですよねえ。これがいいんです。私たち患者にとって落ち着いていてやや低めでやわらかいトーンの声は「もうあなたにすべておまかせします」と、とても安心出来るんです。もしこれが高くて硬いトーンのキャピキャピした声で対応されると「おいおい大丈夫かい」とちと不安になってしまうかも…、ですよね。声のトーンは人それぞれですのでまあ無理は言えませんが、高くて硬い声の人はとにかく丁寧にゆっくりとしゃべることを心掛けるといいでしょう。ゆっくりというのは聞く方の心をやわらげるようです。OTのY先生もそうでしたが、M先生もまず話し方で合格でしたね。
PTの訓練で苦労したことというと、最初に思い出すのは腰を上げる動作ですね。あれは平行棒内で歩行練習を始める前の基礎体力をつける段階だったと思います。高さ30センチくらいの台に腰をおろしてそこから腰を上げる訓練でした。当時私の右足にはまだ踏ん張れるだけの力はなかったんです。そこでこの訓練だったんでしょうね。私の目の前には50センチくらいの台が置いてありまして、それに左手をついてグッと腰を上げるといった訓練でした。私の右側にはM先生が居てくれましてね。左手を前の台に乗せて「さあ腰を上げるぞ」と両足に力を入れました。「あれれ?」、しかしどうしても腰が上がらないんです。何度やってもダメなんです。出来ない理由をM先生が説明してくれました。腰を上げるには頭をグッと前に倒す必要があるそうです。頭は重いので自然に腰は上がるというお話でしてね。なるほどなるほど、そういうことなのね。再度挑戦しました。でもやはり出来ないんです。原因が分かりました。私は思い切りが悪かったんです。目が見えないので怖くて思い切ってやれないんです。それはまず右足に踏ん張る自信がなかったことが最大の要因だったようで、自然と躊躇してしまっていたんですね。つまりこけるのが怖かったんです。だから左手は台に乗せて置くだけなのに、どうしても手前に引っ張ってしまう形となっていたようです。「横に居るから大丈夫、思い切って頭を前に倒して」とM先生は言ってくれました。そして先生は私の腰の後ろを手で持って支えてくれましてね。これなら安心と私はまた挑戦したんです。最初はお尻が少し浮くくらいでした。左手はやはり台を手前に引いた感じになっていたようです。そんな訓練が数日続いて少しずつですがこの動作に慣れて行った私は、ある日ついに腰をグッと上げることに成功しました。慣れることで自信を持つというのは心に余裕が出来て実に落ち着くものですよねえ。身体をこういう風に持って行くと右足もしっかり踏ん張ることが出来て…、とイメージ通りになるんです。するとこけるという余計な心配が要らないので、後は腰を上げることだけに集中出来るわけです。
一つの動作をマスターするとやはり達成感と満足感が得られますよねえ。それは次へのステップとなるわけです。私の場合はやはり見えないという恐怖心をどうやって少なくするかがその後のリハビリのポイントとなりました。それはいよいよ杖を使っての歩行訓練であらためて実感することになります。



未分類 | 11:24:24 | Trackback(0) | Comments(0)

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