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足首がピクリ、動いたんです!。
待ちに待ったリハビリ(?、ニコ)もとりあえず始まりました。さて話はちょっと以前に戻りますが、私は当初個室に入っていましてね。ICUからやっと脱出(ニコ)した時、右半身マヒに加えて両目の視力も完全に失ってしまった私の状態を診た主治医は「このまま大部屋ではまだ無理だろう」と個室に入れてくれたようです。正直この配慮は有り難かったですねえ。これでいきなり他の患者さんと接触してもうまくコミュニケーション出来るかと私はまずそれを心配していたんです。まあそれは主治医も家族も同じ思いだったようでホッとしたわけです。以前にもお話ししたようにその当時の私は奇跡的にしゃべれるようにはなっていましたが、声はかすれていてとても会話出来るような状況ではなかったんです。そして自分の身体の状態についてやっと理解出来始めたところでしてね。特に目が見えなくなってしまったことはそれはそれはショックでしたね。そんな状態にこれでもかと落ち込んだ私は精神的にもかなり不安定だったようです。よって個室というのは大正解だったわけです。
個室に移ってからは人目を気にすることがないのでよく泣きましたね(ニコ)。特に夜一人になった時は激しかったようです(オイオイ)。でも昼間家内がそばに居る時には我慢していたつもりです(ちょっとは泣きました、ごめんなさい)。部屋にはラジカセを家内が持って来てくれていました。ラジオでも聴いて気晴らししてという家内の心遣いだったんですね。でも当初の私はまったく聴く気がしませんでした。当然のことですが聴こえて来るニュースやおしゃべりそして音楽はまさに坦々と流れているんです。私が泣くほどこんなにつらい思いをしているのに平気でよくそんな話するよねと、まったくわけの分からないことを真剣に考えていらついていたんです。何と言うのか、神経を逆なでされたような感じだったようです。今振り返ってみると実に馬鹿馬鹿しい話ですよね。自分の病について世間は知るわけないし例え知ったとしてもラジオから聞こえて来るわけがないのにねえ。そんなことをマジで考えて悩み、単純なことを無理やり複雑にしてしまうという何とも不思議な世界に私は居たんです(オイオイ)。そんな私は元気だった頃大好きでよく聴いていた曲でさえも聴く気になれなかったんです。
そんな状況の中でもリハビリは容赦なく始まりましてあっという間に1ヶ月ほど経った頃のお話です。せっかく持って来てくれていたラジカセもちとホコリが目立つようになっていたんではと思います。その日も朝から家内は私にマッサージしてくれていました。ふと思ったんです、音楽を聴いてみようと。家内はすぐにカセットテープをセットしてくれました。曲は昔私が好きだったものばかり集めて録音したヤツでした。聴きなじんだ曲が記憶通りの曲順で次々に出て来ましてね。しばらく聴いていたらまったく突然なんですがマヒしている右足に力が入るように思えたんです。私は右の足首に神経を集中させてグッと力を入れました。するとナントちょっとだけピクッと動いたそうです。それを見ていた家内は「良かったね」と蚊の鳴くようなちっちゃな声で言ってくれました。はっきり聞こえなかったのはきっと泣いていたんでしょうね。私も当然嬉しい気持ちでいっぱいでしたが、私以上に家内の喜びの方が遥かに大きかったようです。それはそうでしょう、病に倒れてから約2ヶ月というもの悪いことばかり続いていたわけで、良い知らせなどまったくなかったはずですからね。信じられないことばかりが続きあれよあれよという間に容態が悪化したらしく、廊下の長椅子で寝泊りしたことも何度となくあったそうです。だからこの足首が動いたというサプライズはほんのちょっとだけですがそれまでの苦労を忘れさせてくれる瞬間だったんでしょう。そしてこれからに希望を持たせてくれるような出来事でもあったんではと思います。半信半疑でとりあえず始めたリハビリでしたが、PTのM先生や学生さんであるTちゃんそしてOTのY先生の温かく熱心な指導で、私は知らず知らず少しずつやる気というものを起こしていたようです。本人にやる気が出て来ればもうしめたものです(ニコ)。私は真っ暗闇の中にまさにかすかな光を見た思いでした。




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未分類 | 14:24:47 | Trackback(0) | Comments(0)
普通の私 その2
     「普通の私 その2」
 小学六年生になった娘がある日こんな質問をしたことがあった。「お父さんは自分を恥ずかしいと思う?」。あまりにも突然の問いかけに私はちょっとギクッとした。何か自分でもわからない心の奥底にあったものを突然表に引っ張り出されたような思いだった。身障者として歩き出した新しい道もこの時四年程経っていて精神的にもそれなりに落ち着いて来ていた。入院中にリハビリの一つとして取り組んだのがワープロ。退院してから約一年後には念願であったパソコンを使用した音声ワープロをついに手に入れ、これを使い今の自分のいろんな思いをとにかくそのまま書きなぐっていた。毎日書き溜めたものを何度も読み返している内に今の自分の現実というものを客観的に見られるようになって来ていたのである。そんな時期に娘のこの質問、それに答えるには時間はかからなかった。「もう大丈夫、恥ずかしいことなんてないよ」と私はしっかり返事をして笑って見せた。学校で福祉の授業を受けたらしく身障者にはそれなりに複雑な気持ちがあることを知っての質問だったのである。私があまりにもあっさりと答えてしまったので安心したのか「そう、よかった」と言うと娘は元気よく部屋を出て行った。一人になった静かな部屋で今自分が答えた言葉をもう一度ゆっくりつぶやいてみた、”恥ずかしくない”。しかし何度か繰り返している内に頭の片隅から涌き出て来るようなかすかな思いが一つだけあった。それは二十数年前、私が最も輝いていたと自負する学生時代に何をするにもいつも一緒だった悪友達のことである。彼らには私の病について何も知らせていなかった。病に倒れる数年前に飲み会をやってからまったく音信不通であったが、特に知らせがないということは元気だとお互いにそう理解していたのである。若くて威勢が良くいつも笑顔だった悪友達という印象の中で今の私だけは場違いの人のように感じられた。それは恥ずかしいというよりもこんな姿になってしまって申し訳ないという思いが強かったからであろう。今会ったとしたら私はきっとまた泣いてしまうだろうと思った。
 家族の支えにより少しづつではあるが身障者という現実にもかなり慣れて来ていたが、そんな時ある事件が起きた。尿意を感じた私はいつものようにトイレに入り便座に腰を降ろし用をたした。ところが終わって立ち上がろうとして驚いた。何と尿が外へ漏れていてパンツもズボンもビッショリ。退院してから約六年、初めて失敗した。目が見えないのでこれだけはといつも気をつけていたのに。私はひどく落ち込んだ。その時「お父さん!、一回ぐらい失敗したからって気にすんなよ」と私の肩をたたきながら声をかけてくれたのは中学一年になった息子だった。この言葉はいつも私が子供達に言っているセリフなのである。息子はそれを私に使った。「ほな頑張りやあ!」と息子は変な関西弁を使いながら消えた。思わず笑ってしまった。私はやっぱり子供達によって生かされまた成長させられていると思った。私と接すること、姿を見ることによって子供達が何かを感じそこから何かを始めてくれたらとただ単純に考えていたのであるが、それはゆっくり動き出しているようだった。
 もう右手のことはすっかり忘れてしまって左手だけの生活も板に付いて来たようだ。この世にまだ縁があって生き返り与えられた試練もまだまだ続きそうであるが、そんな中家族の支えによって最近やっと「今が普通なんだ」と違和感なくそう思えるようになって来たことは、まさに私にとって大収穫なのである。そして今だったら悪友達ともきっと笑顔で会えるような気がしている。

終わり

最後の部分に「悪友達ともきっと笑顔で会える…」とありましたよね。実はこの文章を書いてからしばらくして内緒(?)にしていた私の病気のことがついにばれてしまいましてね(ニコ)。それから約半年後みんなと会うこととなりました。結果はやはり涙でした(クスン)。しかしこれは嬉し涙だったようです(ニコニコ)。



未分類 | 14:17:07 | Trackback(0) | Comments(0)
ちょっと一服です。 「普通の私 その1」
いよいよリハビリが始まり車椅子にも何とか乗り移れるようになったところまでお話ししましたよね。今振り返るとあの頃は自分だけの世界に居たんですよねえ。周りのことにはまったくと言っていいほど気が回らなかったようです。それは仕方なかったんでしょうが、もうちょっとどうにかならなかったものかとちとなさけないようにも思ったりします(トホホ)。あれからもう少しで丸14年となりますが、当時からは想像も出来ないほど精神的・肉体的にも落ち着いた生活をやっているとしみじみ思いますね。それはやはり身近にいつも居て温かく支えてくれた家内と子供達のお陰なんです。ウーン、言葉では言い表わせないような気持ちですね。以下は数年前になりますが、何とか落ち着き始めた頃の心境をたらたらと書いたものです。自分でも信じられないほど回復し「今が普通の私なんです」とあらためて家族に対する感謝の思いなどを書いたつもりです。一度読んでみて下さいませ。


     「普通の私 その1」
 「今が普通なんだ!」と最近やっとそう思えるようになった。あれも出来ないこれも出来ない、もう一人では何一つ出来ないという生活に突然入り込んでしまった私がこんな風に考えられるようになるなんて。それは当時の私からはとても想像出来ないまさに信じ難いことなのである。もうすぐ三十六歳を迎えようという平成四年四月三十日という日は、私にとって決して忘れられない「命の記念日」となった。その日、脳内出血を起こし運ばれた病院で私が見たものはピクリとも動かない”私の右の手と足”であった。「まさか、そんな!」という思いは次の瞬間、例えようのない大きな恐怖心となって私に襲いかかって来た。{これはきっと夢だ、悪夢なんだ!」とまったく思考力が衰えてボンヤリした頭の中で私は必至にそう思い込ませようとしていた。しかし悪夢はさらに続き容態の悪化した私が次に目覚めた時には両目の視力をも完全に失ってしまっていた。幾度となくやって来たという生命の危機も「まだ死なせるわけにはいかない」と神様は命だけは助けて下さりその代わりとして私に試練を与えられたのであろう。しかしこんな他人事のように冷静に考えられるようになったのはつい最近のことであって、当時の私としてはとにかくただひたすら泣くばかりの日々だったのである。
 絶望感と孤独感、もうすべてのことが不安だった。真っ暗闇の中考えれば考えるほど出るのは涙だけで他に何の答えらしきものも見つからなかった。そんな私を救ってくれたのはやはり家族だった。妻とまだ幼い二人の子供達はこんな姿になってしまった私を今まで通り、いやそれ以上に温かく受け入れてくれた。子供達のごく自然な対応は父親としての私というものをあらためて取り戻させまたやる気を起こさせた。約一年半の長期に渡る入院生活の後、退院して我が家に帰ってからもこの温かい家族の支えは”普通の人”に戻る為に大きな力を私に与え続けた。学校から帰った子供達が聞かせてくれるいろんな話はその一つ一つがとても新鮮であって、まるで浦島状態である私に今現在というものをはっきり感じさせてくれたのである。

つづく…。


未分類 | 15:21:52 | Trackback(0) | Comments(0)
ワーイ マイ車椅子だよう。 でも油断は禁物!。
車椅子にはすぐ乗り移れるようになりました。でも最初は当然誰かに介助してもらわなければいけなかったわけです。まずは乗り移る方法を教えてもらったんです。私は右半身がマヒしていたので、自由に動く左手方向に車椅子をベッドと水平になるように置いてもらいました。そこで左手で車椅子の位置をさがして向こう側のひじ掛け(つまり車椅子に乗った時に左手を乗せるところです)をつかみます。それから両足を肩幅より少し広めの位置に置きます。これで準備OKです。そこでグッと身体を前に倒しながら立ち上がり、それから体を90度座席方向に回転させてゆっくり座ります。これで乗り移り完了です。こんな風に書くと実にややこしいですよねえ。難しいことはまったくありません。私は目が見えなかったので今のように説明してもらいイメージしたわけですが、普通は車椅子をその位置に置いてもらい身体の動きをやってもらったらすぐに分かるものです。ここで大切なことは足の位置です。立ち上がる時の両足の位置です。特にマヒしている方の位置は重要です。肩幅くらいに置けば問題ありませんが、狭くなったり両足が揃ってしまうとちとヤバイことになります。立ち上がった時自由に動く方に重心が主にかかるといいわけです。しかしマヒしている方に思った以上の、つまり支える力のない方に想像していた以上の重心がかかった場合、踏ん張りきれずバランスを崩してしまうことになります。よって必ず肩幅以上に足位置を決めて下さい。バランスを崩したらちと痛い思いをすることになるかも知れませんからね(ニコ)。私はその頃マヒしている右足にまだ支えるだけの力もなかったし、後で大変お世話になる装具という新兵器もまだ作っていなかったので、実際乗り移る時には介助してくれる人に寄りかかるようにヨロヨロと移動していたようです(ニコ)。そうそう、それと車椅子はストッパーをかけておくのも忘れないようにね。
この車椅子に乗り移る時に失敗したことが一度だけあるんです。あれは乗り移りにちょっとだけ慣れた頃だったと思います。当時私の病棟にはある看護学校の学生さんが実習に来ていましてね。私は歯磨きをしようとナースコールしました。車椅子を持って来てくれたのは学生さんでした。彼女はもう何度も私の車椅子に乗り移る介助をやってくれていたんです。ベット間はせまく車椅子が入るだけのスペースしかなかったんです。私が乗り移るにはベットの左側のスペースに車椅子を持って来る必要があるわけです。車椅子を持って来てくれた彼女はぐるっと一回転させていつもの位置に置いてくれたんです。セットが出来たので早速私は乗り移る動作に入り立ち上がったんです。その瞬間驚いたことにマヒしている右足に重心がかかってしまいましてね。私は左手でひじ掛けをグッとつかみ体勢を立て直そうとしました。しかし右足ではどうしても踏ん張り切れずついに右側に倒れてしまったんです。倒れた時床に右側頭部をゆっくりですがコツンとぶつけてしまいました(イテテテ)。その時私の右側に居るはずの彼女はそこには居なかったんです。どこに居たかというと、車椅子を押して持って来た彼女は車椅子をぐるっと一回転させてそのままバックで入って来ていたんです。つまりいちばん奥に居たわけです。ベッド間はせまかったですよね。私の右側には来られない位置だったんです。気付いていたのか分かりませんが結局私の右側には居なかったわけです。基本的には必ず患者のマヒしている方に居て介助するべきなんですが…。私も不注意でした。いつもやっているのでちと油断したんですよねえ。おそらく右足の位置がかなりせまかったんでしょう。慣れというのは実に怖いものだと実感しましたね。もっとも私が見えていたら彼女の位置が確認出来たわけで立ち上がることはなかったかも知れませんね。
その後病室は大騒ぎとなりまして、看護師さんたちは走り回っていたようです。最初にやって来た看護師さんは私をベッドにかかえ上げようとそれは悪戦苦闘しておりました。やっとベッドに上がった私はそれから頭部CT検査などなど大特急でやったようです。幸い異状はなかったようで一安心しました(ホッ)。気の毒だったのは学生さんです。おそらく師長さんからかなり注意を受けたんではと思います。それからというもの、彼女の私に対する態度は何となくよそよそしくなったように感じましたね。彼女にも言い分があったかも知れませんが、ここは一つ素直に反省してくれていたらいいけどねと思いました。その後車椅子などに乗り移る時には動く左足でマヒしている右足の位置を必ず確認することにしています。場合によっては左手をグッと伸ばし直接手で触って右足の位置をしっかりと決めているんです。目で確認出来ないのでより慎重にやっているわけです。それと次の動作に移る場合には一呼吸おいてからやるようにしています。ワンポーズ入れるわけです。連続の動作はどうしても不注意になりがちですからね。しばらくすると右足にもちょっとだけですが踏ん張る力もつき、さらに強力な武器となる装具も作ったので、車椅子などに乗り移る動作はかなり落ち着いたものとなりましたとさ(ニコ)。



未分類 | 19:14:28 | Trackback(0) | Comments(0)
Tちゃん お元気ですか?。
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお付き合い下さいませ。かなり間があいてしまいました。実はまたパソちゃんのご機嫌が悪くなりましてね。素人ながらああでもないこうでもないといじっていたら突然ご機嫌が良くなりました。しかしどこをどうやったから良くなったのか詳細は不明です(トホホ)。よってまたいつご機嫌が悪くなるかとハラハラしながらやっております。但し私のパソコンの師匠である方からアドバイスをいただきましたので今後はもう少し早く対応出来るように思います。カニ平さん、ありがとう(ペコリ)。
PTを担当してくれていた沖縄の学生さんであるTちゃんはとっても真面目そうな印象でした。初めて担当する患者である私が半身マヒで目も見えないという状況だったので、かなり緊張もあっただろうとその心境をお察しいたします。そりゃそうですよねえ、目の見えない相手に一体どんな風に説明し対応したらいいのか、まだ経験のない学生さんにとってはかなりやっかいな患者だったと思います。恐る恐る緊張感を持って慎重にということでしょうねえ、とにかく一生懸命という雰囲気がヒシヒシと伝わって来ました。「最初からこんな患者でごめんね」、今振り返るとそんな思いでいっぱいです。
Tちゃんからまず教えてもらったのは、仰向けに寝た状態から左手で右手をつかんで上に持ち上げるといった運動でした。左手で右手首をつかみグッと持ち上げ頭の辺りまで行くわけです。とにかく動かない右手は重いんです。それをすっかり力のなくなった左手で持ち上げるわけですからもう大変のなんのって。こんな単純なことが出来ないんですからねえ。また泣きたい思いでしたがここはもう泣いてはいられません(ニコ)。とにかく左手に力をつける運動からやりました。それは実に気の長いお話でして一気にというわけには行かないんですね。調子が良かったら進みますがいつもというわけには行きません。まさに三歩進んで二歩さがるといった地道な努力が必要なんです。私は半信半疑でやり始めたリハビリでしたがそれを素直に続けられたのは、やはりTちゃんの存在だったようです。真面目過ぎるくらい誠実に一生懸命私にリハビリをやってくれる姿を見て、私はそれにちょっとでも応えようと思っていたからなんです。患者は敏感です。リハビリをやるにしても担当してくれる先生の言動をそれはそれは注意深く観察しているんです。私のためにこの人は一体どんな風にやってくれるのかとアンテナの感度を最大限にして待っているわけです。例えどんなにうまい言葉であったとしても心がこもっていないとすぐ分かるものです。伝わって来ないんですね。真心というものは言葉は少なくても一生懸命誠意を持って対応すれば必ず伝わるものです。Tちゃんの対応はしっかりと私に伝わって来ました。Tちゃんのひたいはいつも汗でビッショリだったそうです。有り難いことですよねえ、ありがとう、Tちゃん。
Tちゃんに教えてもらったことはもう一つあります。それはベッドから起き上がる練習でした。まず左足先で右足首をすくって身体全体を左側へ寝返りします。そこから左手を使って上体を少し起こします。そこで左ひじで支えた状態からひじを伸ばす反動を利用して一気に上体を起こすというワザでした。これが難しいんです。まず左手に力がなかったことと目が見えないのでどうしてもバランスがうまく取れないのが原因だったと思います。何度もトライしましたがなかなか成功しませんでしたね。このベッドから起き上がるワザと最初のうでを上に持ち上げる運動は、Tちゃんの実習期間中には結局マスター出来ませんでしたとさ。Tちゃんとのリハビリを始めて約2ヶ月、Tちゃんはこの病院での実習を終えて次の実習地に向いました。最終日のリハビリの時、私は左手で右手を持ち上げる運動をTちゃんにやって見せたんです。出来るところを見せて喜ばせたかったんです。しかし完全には出来ませんでした。得点は8ぐらいでした(ニコ)。「頑張って下さいね」とTちゃんは笑いながらそう言ってくれました。私が特別に指導して教えた「スースース」と「とっとっと」という二大熊本弁、沖縄でも使ってくれていたら嬉しいけどね(ニコ)。
実はTちゃんと昨年12年ぶりに会う機会が出来ましてね。しかし予定通りには会えなかったんです。渋々自宅に戻ったわけですが、夕方Tちゃんは電話してくれたんです。私のことは忘れずに覚えていてくれましてね。嬉しかったですねえ。Tちゃんは12年前と変わらないやさしい声でした。変わっていたのはその声がやけに落ち着いていることでした。聞くところによるとTちゃんは現在沖縄のリハビリの学校で先生をやっているそうです。それだったら落ち着くはずだよねえ(ニコ)。





未分類 | 16:12:13 | Trackback(0) | Comments(0)

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