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君に感謝です。
前回で理学療法士(PT)によるリハビリがとりあえず始まったことをお話ししましたよね。とりあえずと言ったのは理由があるんです。正直なところ私はやる気がなかったんです。動かすととにかく身体が痛いんです。右手はまるでドラエモンのように指をしっかりと握りしめていて、それを開こうとすると指の関節が痛いんです。また右の手足のすべての関節はこれまた固まっていて動かそうとすると痛いし、動くはずの左の手足もすっかり筋力がおとろえていて頼りなかったんです。よってリハビリはやっていてもやらされていると言った方が正解だったようです。こんなに痛いのに例えリハビリをやったとしてもこの身体が元の状態に戻るなんてとても考えられなかったんです。
そんな私がその時毎日かかさずやっていたことがあります。それはただひたすら泣いていたんです(恥ずかしいよねえ、ごめんなさい、ニコ)。これから身体は?・家族は?・仕事は?・生活は?などなどいくら考えても結論の出ない問題ばかりでもう泣くしかなかったんです。泣かないぞと心に決めていたにもかかわらずどうしても考えてしまい、結局また泣くわけです。よくもまあ涙が出るもんだと思いましたよ。心の弱さというものですかねえ、それを試されていたようにも思うんです。これはずっと後になって聞いた話ですが、「試練は耐えられる人に与えられる」らしいんです。今になってやっと理解出来たんですが、当時の私には心に余裕がなくそれを素直に聞く耳も持たなかったようです(修行がまだまだだよね、ニコ)。
入院直後から家内は2ヶ月に渡り会社を休職して私に付き添ってくれていました。家内はかなり辛かったと思います。一体これからどうなるのかおそらく思いは私と一緒だったはずです。一時私の容態が悪化した時には廊下の長椅子で寝泊りしていたそうです。そんな苦労もしらずに私は夢を見続けていたんでしょうね(トホホ)。家内の一日はこんな様子でした。朝8時には病室にやって来て私の朝食の介助。それから私の動かない右の手足を時間をかけてマッサージ。そうこうしていたらもう昼食となりまた介助。午後からは訓練室に連れて行ってリハビリに付き添い、夕食の介助を終えるとまたマッサージ。そして私を就寝体勢にさせて9時前やっと帰宅というスケジュールでした。本当に大変だったと思います。その上私の泣く姿を見るわけです。これは精神的にも肉体的にも疲れ果ててしまいますよね。まさに献身的な介護でした。家内が居なかったら私の今はないんです。そんな家内にここであらためて感謝の気持ちを表したいと思います。ちと恥ずかしいところもありますが、手紙の形で書きましたので読んでみて下さいませ(ニコ)。

     「君に感謝です」
 女性は強いよねえ。特に既婚で子供もいるとなるとかなり強力なものとなるようです。君もご多分にもれず約13年前のある日から突然たくましい女性となりました。何か心に決めたことがあるのか、とにかく前へ前へと進み出したことを私はしっかりと覚えています。それまでの君はちょっと天然チックでのんびりしていて、外見も細身というところからとても強いという印象ではなかったよね。しかし君は変わりました。それは変えざるを得なかったんだよね。原因はこの私の突然の病。病は私から身体の自由と両目の光を完全に奪い取りました。私は泣いたよね。私の身体は?、仕事は?、生活は?とすぐには答の見つからない問題ばかりが次から次に出て来て悩ませました。そして君の夫として、まだ幼かった二人の子供達の父親として、何もしてあげられない自分がとにかくなさけなくて悔しい気持ちでいっぱいだったのです。「神様なんて居ないんだ!」とやけっぱちになって毎日よく泣いたよね。そんな時君は強い女性へと変身したのです。君としては私のそんな姿は見たくもなかったでしょうね。
 「奥さんは別れるとよく言わなかったよなあ」と冗談を言うリハビリ仲間の言葉には明るく笑って見せたりしたんだよ。しかしワイドショーなどでよく耳にする世間の離婚話についてマジで考えたりして、正直「もしかしたら?」という思いもちょっとだけあったことをここで白状します。子供達のことも心配でした。明るく元気で素直に成長してほしいとただそれだけを願っていたのです。しかし子供達の存在自体が私に大きな力を与えてくれたよね。君も知っているように今までとまったく変わらない私への対応は、失いかけていた彼らの父親であるという自信を私に取り戻させてくれました。そして私と生活を供にすることで子供達が何かを感じて何かを始めてくれたらと思っていたのですが、それは今ゆっくりと動き出しているようです。それも君のお陰です。とにかく私は救われました。君は強くたくましい女性へと変身しましたが、それ以上に優しい思いやりのある妻そして母親へと進化したのです。早いものであれから13年、毎日私の着替えや入浴などの介助をごく普通に坦々とこなしてくれているよね。「ありがとう」と言う私の言葉には何も反応はないけれど、その空気からきっと顔はニッコリしているだろうと私は勝手に想像しています。障害者としての生活をまさに自然に当たり前のように共に過ごしてくれている君にここであらためて感謝します、「ありがとう」。そして神様に謝罪します。「私の神様はすぐ近くに居ました」。

 


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未分類 | 15:36:26 | Trackback(0) | Comments(0)
しゃべれるんです!、神様ありがとう。
私はしゃべれるようになっていました。やっと正気?を取り戻した時言葉が出ていたんです。あんなにロレツが回らずしゃべれなかったんですけど声が出たんです。まさに奇跡的ですよね。おそらく家族はしゃべれるなんて思ってもいなかったでしょう。これは家族にとってとりあえず嬉しいニュースだったはずです。目が見えず言葉も出なかったとしたら今の私とは違った人になっていたかも知れませんね。
声が出てしゃべれたといってもその声はささやくといった感じでした。しっかりした強い声が出ないんです。だから田島(ニコ)じゃなかったM先生やTちゃんと交わす言葉もそれはそれは小さいかすれたような声だったんです。M先生も「元々こんな声ですか?」と家内に尋ねたほどでした。「そんなことはないよ」とハッキリと言いたかったんですけど、実のところ私は若い頃にノドを壊していて大きな声が出なかったんです。良く言えばハスキーということですが、まるで芯の抜けたような弱々しい感じの声だったので私としてはとても嫌だったんです。その声が益々かすれてしまったわけです。私は「これから先会話は出来るのかなあ?」などと、今までロレツが回らずしゃべれなかったことを完全に忘れてしまって、実に贅沢としか言えないことを考えていたんですね。まったく人は勝手なもので一度幸せになるとそれ以前の状態については簡単に忘れてしまい、「感謝」という言葉を知らない生き物になるようです。実に我がままですよね。
ベットサイドでのリハビリが一週間ほど続いた後、いよいよPTの訓練室に出向いてのリハビリが始まりました。トレパンとトレーナーに足にはおニューのスニーカーというスタイルでしてね(ニコ)。初めの数日はナント「ストレッチャー」で行きました。そうあの横になったまま移動出来るベッドに車輪の付いたストレッチャーです(ニコ)。私はまだ車椅子には乗れなかったんです。PT室に着くとまずM先生とTちゃんは私をヘンテコな機械の上に乗せ換えたんです。先生の説明によると、これはまずベッドに横になった状態から徐々にベッドを起こして行き、最後には垂直に近い位置まで起こす機械らしいんです。身体はベルトでしっかり固定してありました。そして足先にはステップがあり垂直すなわち立ち上がった状態になるとしっかり足で踏ん張ることになるんです。と言っても私はまだそんな力はないわけでして、ふらつかないように私のヒザ辺りにもしっかりベルトが巻かれて固定されていたようです。Tちゃんはまず私の左腕に血圧計を取り付けました。それからゆっくり起こして行き途中何度か機械を止めて血圧を測っていたようです。私は身体が起きて行くにつれて重力が胸からお腹そしてお尻に移動するのをハッキリと感じました。それは内臓のすべてがお尻の穴から飛び出して来るかと思うくらいのすごい勢いでしてね(ニコ)。人は通常立って生活するのが自然です。そうすることで身体のあらゆる機能がバランス良く働くわけですよね。そんな自然にやっていることが私たち患者にとってはまさにうらやましいと思えるほどなんです。病気をやったからこそ感じた健康の有り難さでした。要するにこの機械は身体を垂直状態に慣れさせるものなんでしょうね。とにかく寝たままの状態が長く続いたのでまずはこんなリハビリから始まったようです。
そんな普通の人に戻るためのリハビリが数日続いたある夜のことです。熟睡していた私は突然せき込みましてね。激しくせきをした瞬間たんが出たんです。汚い話で申し訳ないんですが、それは口いっぱいになるくらい大量だったんです。私はあわててまくらもとに置いてあったティッシュを何枚も取ってはき出しました(ホッ)。するとどうでしょう、ノドの辺りがスーッとしたんです。そして何となく声を出してみたら楽に出るんですね。それは病気前の私の声でした。力強いとは言えませんがささやくといった感じではなく、以前にかなり近いハスキーな声に戻っていたんです(ニコ)。「これで先生たちとも普通にしゃべれるよね」と私はただ単純に喜んでいたようです。後で考えてみるとそれはりはびりが始まり身体をそれなりに動かしていたので、ノド辺りに溜まっていた大量のエヘン虫が外に飛び出して来たんでしょうね。これも普通の人に戻るための小さな一歩だったようで、やはりリハビリのお陰だと思うんです。


未分類 | 14:58:50 | Trackback(0) | Comments(0)
いよいよリハビリ開始。
真っ暗闇の中で上を向いているのかそれとも下を向いているのかさえも分からず、まるで宇宙遊泳でもしているような不思議な世界に居た私は、約2週間後やっと地球に帰還し無事着陸に成功したのです(パチパチパチ)。ずっと寝たままの状態だった私はまず身体をベットごと起こす練習から始めました。ゆっくり起こし最初はほんの少し、それから徐々に立てて90度近くまで行きました。すると今まで背中辺りに感じていた重力が首からお腹そしてお尻辺りに移るのが分かりましてね。生まれて初めて感じる不思議な感覚でした。それと同時に胸の辺りがスーっと楽になって何となく呼吸がし易いように思いました。次の段階はベッドごと起こした状態から、頭をまくらから離して首だけで支えるという動作でした。私は頭がこんなに重いものだとは思ってもいませんでした。とにかくその重さで頭部がフラフラするんです。首に支える力がないんですね。これはもし目が見えていたとしたらもっとすんなり対応出来たのかも知れませんね。バランスを取るのに視覚がどれほど重要なのか、ほんのちょっとだけですが実感しました。そんな私の頭はしばらくするとやや右側に傾いた状態でとりあえず落ち着くこととなりましたとさ(ホッ)。
病後3週間ほど経っていよいよリハビリが始まりましてね。ベッドサイドのリハビリをやりに来てくれたのは理学療法士(PT)のM先生。女性でした(ニコニコ)。私はその声を聞いて「どこかで聞いたような声だよねえ」としばらく考えたんです。そして「そう田島令子だよ!」とついに思い出したんです。田島令子?、それ誰?とおっしゃる方も失礼ながら少なくないでしょう。女優の田島令子さんです。私は彼女が何となくですが好きでしてね。ハッキリ言ってファンだったんですう(エヘ)。その田島令子さんにリハビリをやっていただけるなんて私は幸せものだよねえと、こんな時にまったく勝手で実に不純な思いの中私のリハビリはついに始まることとなりました(男ってヤツはまったく…、なさけないよねえ、トホホ)。
私のリハビリを担当してくれたのは田島令子、じゃなくてM先生でしたが、実はもう一人彼女の後ろに居たんです。それは理学療法士をめざして実習中だった学生さんのTちゃんでした。Tちゃんは沖縄の学校から実習に来たばかりの男の子です。おそらく21歳だったと思います。初めての実習で私が初めて担当する患者だったそうです。Tちゃんはとにかくやさしいんです。しゃべり方もそうですが私の手足を動かしてくれる時もそれはそれはやさしくゆっくりでした。これは私の手足が固まっていてとても痛いので、PTの初心者としてはそうするしかなかったんでしょうね。まさに恐る恐るといった感じでした。患者の初心者である私とPTの初心者であるTちゃんとの若葉マークコンビによるリハビリは、M先生の監視?じゃなくて指導の下でここからスタートしたのです。



未分類 | 15:18:13 | Trackback(0) | Comments(0)
夢の続きです。
かなり涼しく、いや寒くなって来ましたね。私の住む熊本でもやっと朝晩は過ごし易くなりました。しかし寒いなんて言うと北国の方には怒られてしまいそうですが…。私は寒いのが大の苦手なんです。昔はむしろ好きだったんですが、この病気をやってからそうなりました。とにかく寒いと身体がかたまってしまい痛みも出て動きが悪くなるんです。これから私にとっては嫌な季節となります。
久しぶりの書き込みです。実はパソちゃんのご機嫌が悪くてちょっとお休みしていたんです。アクセスするのにあくせくしておりました(すぐこれだからね、ニコ)。やっとご機嫌が直ったようなので今の内にあくせくじゃなかったアクセスしましょう。
声をかけても私の反応が悪いので「これはちとおかしいぞ」と感じたのは主治医も家族も一緒だったと思います。そして診察の結果は「視神経萎縮による視力障害」でした。原因については色々と想像は出来るがあくまでも想像であって断定は出来ず、結局詳細は不明というお話でしてね。しかしこの診断を聞いても私は何故かショックを受けなかったようです。そのことがあまりにも重大過ぎてその時の私の頭ではまだ理解出来なかったのかも知れません。「一過性のこともよくあるから…」と看護師さんや家族は言ってくれたんですが、それは私への気遣いからだったんでしょうね。家族もそれはショックだったはずです。今考えると何とも有り難い配慮でした。
夢についてもう少しお話ししましょう。病後一年ほど経つと夢をコントロール出来るようになりましてね。こう言うと何か魔法使いのように聞こえますが、そんな大げさなことではありません。例えば楽しい夢を見ていたとしてそれが夢だと感じた時には、そのままにしているとその続きをじっくり堪能することが出来るんです。これとは逆にもう逃げてしまいたいくらいにとても嫌な夢を見ていたとしますよね。それを夢だと感じてとにかくその場から脱出したいと思った時には、枕もとに置いてあるラジオを聴くんです。スイッチをオンにしイヤホンを耳に入れます。するとラジオから音が聴こえて来るのでそれに神経を集中させ内容を聴き取るようにするんです。しばらくするとカラーで動いていた画面は少しずつですがスローモーションとなるんです。そしてさらにラジオに集中すると画面は段々コマ送りとなり、同時にカラーだった画面は色が抜けて薄くなって行くんです。ここまで来ると脱出までにはもう一歩です。もっともっとラジオに集中すると、コマ送りの画面はついにストップモーションとなり完全に止まってしまい、同時に薄くなっていた画面は徐々に白黒となり最後には真っ暗闇となるんです。これで夢からやっと覚めたということになります。複雑だよねえ、夢はそんなに難しいもんかい。そうなんです、私の夢はややこしいんです(ニコ)。目覚める所要時間約1~2分というところですねえ。これでもかなり短縮したんですよ。記録は更新中です(測ってるのかよ!、ニコ)。
この夢から脱出しようとする時にまずラジオのスイッチを入れるわけですが、この動作がなかなかすんなりとは行かないんです。頭では分かっているんですが手が動かないんですね。これがもしかしたら金縛り?なんて思ったりしますが、それはただ頭がぼんやりしているだけなのかもね。とにかくこのラジオを使った目覚めるワザを身につけたことは私にとって大きな収穫でした。それからは例えどんな怖い嫌な夢を見たとしても、このワザを使えばもうヘッチャラなんですねえ。一時期は夢を見るのが怖くてなかなか寝つけなかったものですが、今では夢だけが私に見える唯一のものであるわけでして楽しみにしているんですよ。


未分類 | 15:07:21 | Trackback(0) | Comments(0)

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